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金曜時評

文化財保護の教訓に - 編集委員 高瀬 法義

 昭和24年1月26日、解体修理中だった法隆寺金堂(国宝)から出火。中国・敦煌莫高窟壁画などと並ぶ古代仏教絵画の世界的な傑作とされる金堂壁画(7世紀、国重要文化財)も被害を受けた。山中羅漢図18面が完全に焼失し、釈迦、阿弥陀、薬師、弥勒の四つの浄土などを描いた極彩色壁画12面も色彩を永遠に失った。原因は壁画の模写作業に使っていた電気器具の漏電とされる。この悲劇をきっかけに翌25年には文化財保護法が施行し、同日を文化財防火デーに定められた。

 火災から今年で70年。法隆寺では平成27年から、非公開だった焼損壁画の一般公開に向けた検討を行っている。先月27日には有識者らで構成する保存活用委員会の中間報告があり、壁画が眠る収蔵庫の耐震性に問題がないことが分かった。

 収蔵庫は壁画焼損から3年後の昭和27年に完成。当時、日本建築史や建築構造学などの専門家が示した収蔵庫の設計方針の一つが「謙虚な建物であるべきこと」。収蔵する壁画が痛ましい焼け残りであるからだ。壁画や資料類の防災を重視し、通常より鉄骨や鉄筋を多めに設計したという。県内の多くの公共施設で耐震不足が問題になる中、70年前の建物が現代の耐震強度もクリアした背景には当時の人々の文化財に対する真摯(し)な思いがあったといえる。

 さらに設計方針で注目すべきは「出来得れば資料や古材の一部を展観し得るようにする」とあること。つまり、当初から壁画などの公開が意図されていた。その後、さまざまな理由で原則非公開となってしまったが、今、一般公開が実現すれば先人たちの思いにも応えることになる。法隆寺の大野玄妙管長は「痛ましい壁画の姿を見れば、ほとんどの人が文化財を大切しなければと思うはず」と壁画公開を目指す理由を語る。おそらく、70年前の人々も同じような思いから焼けた壁画を大切に残し、公開しようと思ったのではないか。

 とはいえ、壁画の公開に向けては、焼損部材の強度や公開による温湿度環境変化のシュミレーションなど課題も山積みだ。保存活用委員会は収蔵庫での公開を前提に調査検討を続け、聖徳太子1400年忌の平成33年をめどに公開の方向性を提言する方針。くしくも今年4月には文化財の活用に重きを置いた文化財保護法の改正が行われる。改めて70年前の悲劇を教訓として、今後の文化財保護活用のあり方を考えないといけない。

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