注目記事山下県政 世論調査の全結果掲載

国原譜

「奈良の大寺」といえば、どの寺か。現在…

 「奈良の大寺」といえば、どの寺か。現在ならば大仏で有名な東大寺、中金堂が再建された興福寺、五重塔の解体修理が続く薬師寺などを思い浮かべる人が多いかもしれない。

 しかし、1300年前の平城(なら)の都で聞けば、多くの人が大安寺と答えただろう。広大な寺域を持ち、初の官寺の百済大寺や大官大寺などを前身した寺。つまり、当時の「大寺」と言えば大安寺を意味した。

 先日、大安寺旧境内で東西の両塔を含む塔院の北門跡が見つかった。ただ、棟門という低く簡素な門で、平城宮朱雀門と同規模だった目前の南大門と比べ見劣りする。

 奈良市教育委員会の調査担当者も「調査前は基壇があると思ったが」と首をひねる。なぜ、平城京筆頭寺院の主要門がかくも貧弱なのか。

 調査担当者は南大門の基壇上に答えを求める。当時、南側の塔院には高さ70メートルの東西2塔があり、もし、目前に大きな門があれば、その景観を阻害したはず。

 つまり東西両塔を際立たせるため、あえて低い門を選んだと想像する。古の奈良の大寺は景観も考えて造営されたらしい。(法)

 

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