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金曜時評

「語り伝える場」を - 編集委員 辻 恵介

 今から40年ほど前、テレビで毎週放映されていた人気番組が「まんが日本昔ばなし」。先日亡くなった常田富士男さんの、味わい深い語りが印象的だった。あの心地良い声と雰囲気は、昔話の世界へ子どもたちを自然と誘ったものだ。

 昔話だけでなく、日本各地で「昔の出来事をよく知る人たち」が亡くなっていっている。戦争、原爆、天災、地域の昔のこと…、テーマはさまざまだ。

 例えば戦争体験。出征した兵士だけでなく、国内外にいて、空襲や敵機襲来などを体験した昭和生まれの人たち。死ぬほどの思いをして、悲しい別れを幾度となく強(し)いられた思い出を誰にも打ち明けることなく、胸にしまいこんだまま、旅立つ人も多い。

 二度と世界の国々が戦争という過ちを犯さないように、そうした悲惨な体験を子や孫や自分につながる人々にさせないために、事実をありのままに記録し、語り伝えていくことが大事だ。

 そんな折、県内の被爆者の体験手記を復刻する動きが報道されていた(8月1日付3面)。平成18(2006)年に解散した県の被爆者団体「わかくさの会」が、昭和61~平成7年に発行した全3巻の体験手記「原爆へ 平和の鐘を」の復刻版発行を目指して奔走する奈良市の団体職員、入谷方直さんの活動を紹介していた。

 既に80代以上が大多数を占め、減少するばかりの被爆者の思いを後世に伝えていくためにも、ぜひとも完成してほしい取り組みだ。亡くなった被爆者の思いを“掘り起こす”、時宜を得た作業といえるだろう。

 昨日は「長崎原爆の日」。4年前に84歳で亡くなった父の事を思い出した。昭和19年に長崎県中部の尋常高等小学校を卒業し、14歳で長崎市内の三菱電機長崎製作所に養成工として入社。翌20年8月9日、作業中に「ピカドン」に遭遇した。

 昨年、遺品を整理中に父が書いた履歴書が出てきた。43年に大阪へ引っ越した際に書いたもので、「昭和20年8月 被爆の爲 退社」とあった。元気な頃は、近所の小学校で語り部活動もしていた。もう少し、いろいろ話を聞いてあげていれば…、と今更ながら悔やんでいるところだ。

 間もなく、平成最後のお盆が来る。「昭和」は、今後さらに遠くなっていく。家族や一族が集まるその場を生かして、さまざまな思いや体験を、子や孫に「語り伝える場」にしてほしい。

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