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奈良県宇陀市の「伝六孫王五輪塔」想定超える大きさ 復元すれば高さ4.8メートル

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想定以上の大きさと分かった伝六孫王五輪塔と記念撮影する地域の子どもたち=21日、宇陀市大宇陀岩清水

 中世の五輪塔では国内で2番目に大きいとされる奈良県宇陀市大宇陀岩清水の「伝六孫王五輪塔」が、高さ約4.8メートルに復元できることが分かった。想定より大きく県内では最大。地元の大宇陀政始まちづくり協議会が調査し、指導した狭川真一・大阪大谷大学教授(仏教考古学)が21日に開かれた地域住民向けの報告会で発表した。

 

 五輪塔は六孫王経基(つねもと)の墓と伝わる。経基は清和天皇の孫で清和源氏の祖。子孫に源頼朝や義経がいる。

 

 五輪塔は「栖光寺跡」の地名が残る尾根にあり、最上部の空輪(くうりん)とかさのような火輪(かりん)、球状の水輪(すいりん)の3石が土中に半分ほど埋まった状態で残っていた。風輪と地輪の所在は分かっていない。

 

 1899(明治32)年の「名勝旧跡調」によると、幕末の陵墓調べの際、高貴な人物の墓であることを地元の人が恐れ、塔を崩して土中に隠したという。

 

 調査はまちづくり協議会が宇陀市の補助金を活用し、大阪大谷大に依頼して昨年8月に実施。岩清水自治会や伝六孫王五輪塔を保存する会、市教育委員会文化財課、住民ボランティア、学生が協力した。3石を掘り出してそれぞれ大きさを測ったところ、所在不明の2石を含む五輪塔の高さは約4.8メートルに復元できることが明らかになった。これまでは4.3メートル前後と推定されていた。南北朝時代末期から室町時代初期ごろの築造と考えられるという。

 

 中世の五輪塔では京都府八幡市の石清水八幡宮五輪塔(航空記念塔、高さ約6メートル、鎌倉時代)に次いで2番目の大きさ。県内では奈良市の西大寺奥の院五輪塔(興正菩薩廟塔、高さ3.35メートル、同)を超えて最大となる。

 

 狭川教授によると、火輪に残る石を割る際の矢穴の痕跡から、塔を崩したのは明治時代ではなく戦国期(16世紀後半)と考えられ、西方にある秋山城(宇陀松山城)の石垣に転用された可能性があるという。

 

 調査は地中に隠した記録がある地輪の発見を目的の一つとしたが、見つからなかった。調査後は住民が3石の周囲に玉砂利を敷いたり、周辺の木を伐採して道を拡張したり整備した。

 

 21日は岩清水多目的センターで調査報告会があり、その後現地で五輪塔を見学。地域の子どもたちが巨大な石造物の前で記念撮影した。

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