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奈良新聞文化賞に元十津川村長の更谷さん、奈良大学長の今津さん、森野旧薬園11代目・森野さん

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「『十津川や』という誇りはある。外へはよう出ていかんなあ」と郷土愛を語る更谷さん=十津川村宇宮原(うぐはら)の自宅

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 文化、芸術、スポーツなど、奈良県内の各分野で活躍する個人・団体を表彰する第27回奈良新聞文化賞に、元十津川村長の更谷慈禧さん(75)、奈良大学長の今津節生さん(67)、森野旧薬園を維持管理する11代目・森野藤助さん(50)の3人が選ばれた。後日、奈良新聞社で授賞式が開かれる。

 

元十津川村長 更谷 慈禧さん(75)

大水害から復旧復興

村のため20年間尽力

 

 歴代最長の5期20年にわたり奈良県十津川村長を務めた。災害に強い道路整備の促進や高齢者がふるさとに住み続けるための集落再編、村を挙げての源泉かけ流し温泉PRなど内外が注目する大事業を成し遂げた。2011年9月の紀伊半島大水害から10年目の21年4月、惜しまれて退任した。

 

 山腹崩壊は村内75カ所260ヘクタール。子どもを含む村民13人(うち1人は避難先の五條市で被災)が命を失った未曾有の災害だった。約2500人が北海道に集団移住した1889(明治22)年の大水害を経験した村は人口3千人の過疎高齢自治体になりながらも再び立ち上がった。

 

 復旧復興のマンパワー不足は深刻だったが、捜索救助活動の自衛隊や警察・消防、ライフライン復旧の作業員、国や県のスペシャリストらが次々やってきて村を支えた。被災後初めて電気が通った夜の感動、村外出張から歩いて村役場に戻ってきた村職員の姿を見たときの安堵は、さまざまな支援に対する感謝とともに忘れていない。

 

 村民が助け合って苦境を乗り越えるコミュニティーの力がそこにあり、日本人の原点だと確信した。「地方がつぶれたら日本がつぶれる」。危機感を持ち、村を守るために走り続けた。

 

 大きな荷を下ろし、心身は今、「山」という深いふところに抱かれている。幼い頃から父親に連れられて山行きをした。背負った植林苗はずしりと重かったが山は楽しかった。

 

 「山を守る」は水害の教訓の一つでもあり、村の林業6次産業化にも力を注いだ。退任後、自宅裏の山林の一部に公園を手造りした。フィールドワークの小学生らを迎え、「山の神」のまつり方などを語り継ぐ。

 

 立ち木を利用した遊具も造ったが、子どもたちは慣れてくると木片などを使って自由に遊びを発明するのが興味深いという。次代を担う子らの顔が木漏れ日の中で輝く。「支え合う精神や自然と共生する営み。ここにはカネや物より大切なものがある」と村の未来を信じる。(さらたに・よしき=十津川村)

 

 

奈良大学長 今津 節生さん(67)

保存と調査に新手法

後進育成に多忙な日々

 

 日本の文化財科学、保存科学の第一線で研究にまい進し、本年度から日本文化財科学会会長に就任。4月には奈良大学学長となり、学界の発展と人材の育成に力を入れる。

 

 衆目を集めた藤ノ木古墳(奈良県斑鳩町)の発掘調査翌年の1989年、馬具などの出土遺物の保存処理に必要な専門職員として県立橿原考古学研究所に入庁した。

 

 在職中、遺跡から出土する木製品に対し、砂糖を使って保存する技術を開発。植物由来の再生可能な材料を用いた地球にやさしい安全・安心な手法で、現在は沈没船などの水中文化遺産にも活用。石油化学製品を用いた保存処理技術が主だったヨーロッパでも普及し始めている。

 

 設立から携わった九州国立博物館(福岡県太宰府市)では世界で初めて、文化財の健康診断や内部構造調査にエックス線CTを活用した。今や国内では当たり前の技術として広まり、中国や韓国でも導入されている。学界全体をリードする立場から見据えるのは世界で、「もっと国際的となって世界に発信してほしい」とメッセージを送る。

 

 研究者の道を歩む原点となったのは大学で言われた先生の言葉だった。「本に書かれていることを信じるのか」。歴史のイメージといえば高校までは暗記科目だった中で、大きなカルチャーショックを受けた。「学を問う『学問』とはそういうことかと気付かされ、学問の面白さを知らされた」。まさに人生が変わった瞬間だった。

 

 もう一つ印象に残る言葉がある。「文化財の世界は経験が大事」。藤ノ木古墳をはじめ黒塚古墳(天理市)の出土品など、のちに国宝や国重要文化財に指定されるような、貴重な考古資料の数々に触れる経験を積んできた今だからこそ、「その通りだ」と納得する。

 

 奈良大学の学生にも現場で経験、体験を積む大切さを説く。奈良には教科書に載るような遺跡や古代から続く寺院、博物館が数多くある。至る所で発掘調査も実施されている。「キャンパスの外に素晴らしい文化財や歴史がいっぱいあるのが奈良大学の魅力。本物を見て、触れて、学ぶことを大切にしてほしい」

 

 学生たちや教え子たちの成長に期待は大きい。「私ができなかったことをやってくれれば。若い人が育っていくのが楽しみ」。学長として多忙な日々を送るが、「研究者でありたい」と仕事の合間に研究に打ち込む。(いまづ・せつお=木津川市)

 

 

11代目 森野 藤助さん(50)

生薬文化を受け継ぐ

旧薬園の環境、維持管理

 

 江戸時代の享保年間に森野通貞が開設した、国内最古の民間薬草園「森野旧薬園」(奈良県宇陀市、国史跡)。江戸幕府8代将軍徳川吉宗の国産薬草の普及政策に貢献したことで授かり、当主が代々名乗ってきた名「藤助」を昨年10月に襲名した。「ずっしりとした重みを感じる」。2004年に亡くなった先代の父・勢三さんら先祖が守ってきた日本の生薬文化のともしびをつなぐ決意だ。

 

 大阪市内での3年間の会社員生活を経て、家業で、創業は室町末期にさかのぼる老舗「森野吉野葛本舗」に入った。旧薬園は江戸時代から続く宇陀松山地区の歴史的な町並みの一角に構えた店舗の裏山にある。

 

 裏山の苔むす石階段を登ると、幕府から譲り受けた外国産の薬草を含む250種以上の薬草木が保たれた“別世界”が広がる。

 

 「山野草の香りや静けさ。 気持ちが静まる」

 

 園の運営を助言する大阪大学総合学術博物館招へい教授の髙橋京子さんは「自然環境のタイムカプセル」とその貴重さを評す。雑草を抜く、種を収穫し、まくといった日々の維持管理は地元の夫婦によって支えられている。

 

 吉野葛の製造を続けてきた旧家でもあり、各地の城下町などで和菓子の原料として愛用されてきた。当初は吉野で創業したが、より良質な葛を求めた先祖が江戸初期に宇陀に移った。「冷涼で水がきれい」な環境が葛粉づくりに適している。 当地で冬に地下水のみで何度も葛を精製する伝統製法「吉野晒(ざら)し」にこだわる。 

 

 近年は国内で自生するクズの根を採取する「堀子(ほりこ)」の高齢化に伴い 国産クズの供給が減少し、課題だ。「葛粉を食べるのはもともと日本だけの文化」。独自の食文化を守ろうと、将来に備えて、栽培の道を探る。

 

 江戸時代に各地で誕生した薬草園は明治以降、西洋医学の普及で漢方医学が衰退し、多くが消滅した。そんな中、旧薬園は森野家の努力で維持され、日本の生薬文化を伝える貴重な歴史的遺産といえる。

 

 「30、40年ぶりに来たけれど変わらない風景。懐かしかった」。旧薬園を訪れた人が口にした言葉に自身の役割を再認識させられた。「変わらないことにも価値がある。日本の自然の魅力を広く知ってもらいたいし、守っていきたい」 (もりの・とうすけ=宇陀市)

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