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音羽山観音寺 後藤住職の花だより - 建物編 2022年春

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門で見送る住職

 音羽山観音寺の歴史は古く、藤原鎌足公作の梅の木観音像を祀ったのが始めと伝えられています。867年に起きた「音羽流れ」という山津波で100からの坊が崩壊し、梅の木観音像も消失しました。唯一残った音羽山観音寺は当時の奥の院だったのではないかと伝えられています。

 

 

千年の時が流れ 現代に息づく観音寺

 

 戦争中は軍事施設として利用された同寺の参籠堂(さんろうどう)。老朽したため取り壊し、別の場所に建て替えました。宿坊体験に使っている無量庵が建て替えた参籠堂です。

 

 「もとの参籠堂の場所はモノレールのあたり。吉野建て(斜面を利用した建物のこと。吉野山にある建物が有名)だったらしいの。桜井市の元市長、長谷川さんが少年兵だったころ。ここまでお使いしていたと聞いたわ」

 

 玄関部分が八畳、六畳二間のその建物は昭和の時代に姿を消し、庭木が生い茂る場所になりました。部屋を仕切る障子だけは、今も無量庵で使われています。

 

 「私がここに来る前の話なので、もとの建物は見たことがないのだけどねー」と住職。

 

 無量庵という名前はのちに後藤住職が名づけました。無量庵から東に「庫裏(くり)」、次は「客殿」。客殿という名ですが、食料などの貯蔵庫になっているそうです。社務所にあたるところは「納経所(のうきょうしょ)」と呼び、その東側に本堂があります。「鐘楼堂(しょうろうどう)」は参道の石段を上がってすぐのところ。

 

 「みんなに分かりやすく鐘つき堂って呼んでるけどね」と住職は話します。

 

 手水舎はここでは「洗心(せんしん)」といいます。

 

 シンボルのお葉付きイチョウを見上げる場所に洗心があります。ここで建物が終わりと思われがちですが、さらに東側に村の由緒ある神社「九十余社(くじゅうよしゃ)神社」があります。その前を過ぎたところに「不動堂」があり、観音寺の御利益で昔から眼病によいとされてきた水が流れています。誰でも立ち寄ることができ、誰でも汲んで持ち帰ることが可能です。

 

 

16時30分門を閉める 参道途中の払堂も

 

 16時30分、門を閉める時間がきました。

 

 「本当にしっかりした囲いができて良かった。ネットでおおっていた時は鹿が入って大変だったからね」

 

 夜は野生動物の世界。観音寺あたりは鹿が現れます。お参りは明るいうちにしましょう。

 

 「途中にある払堂(はらいどう)は九十余社神社の分社です。上まで登るのが大変な人がそこでお参りするの。お宮参りもあったかな?」

 

 さて住職とお別れ。記者の姿が見えなくなるまで手を振ってくれました。

 

 払堂は見落とすくらい小さな祠です。気づいた人は参拝をしましょう。

 

払堂

 

 

 西に傾いた日の光が参道を照らします。日の入りが長くなりました。

 

夕刻の参道

 

 

 

音羽山観音寺

山の中にある尼寺。桜井市南音羽

JR・近鉄桜井駅下車、桜井市コミュニティバス談山神社行、下居下車、約2km。

火曜は閉門。17日の観音縁日が火曜日の時は開門、翌日が閉門日になります。

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