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歴史文化

大和路お寺をゆく55回 天照寺(上)薬師堂

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晩秋の夕暮れを、ほっこりと温める茅葺きのお堂

 豊かに流れる清流と深い山々に囲まれた自然豊かな東吉野は、長い歴史を秘めている。675年、天武天皇の創建という丹生川上神社のそばには、大和平定を目指す神武天皇が戦勝を祈願したと伝わる「夢淵」があり、明治維新に先駆けた天誅組の義士たちは、東吉野で最期を遂げた。

 

 同神社の西北に位置する天照寺薬師堂(県指定文化財)は、小(おむら)の集落と高見川の流れを一望する高台に建つ、茅葺(かやぶ)き屋根のお堂である。

 

 薬師如来を祭っているので薬師堂と呼ばれるが、当初の寺名は神光寺といい、天正12(1584)年に上棟した。

 

 現在の薬師如来像は江戸時代の作風だが、台座と光背は平安中期のもの。台座の墨書には、中世にこの地を治めた豪族、小川氏の小川弘光が文明7(1475)年、本尊修復のために財宝を寄進したとの記述がある。薬師堂内部は能舞台形式で、小川氏が領民の安泰を願う舞を奉納したとの説もある。

 

 一方、薬師堂東側の一段高い場所に本堂を構える天照寺は小川氏の菩提(ぼだい)寺として13世紀後半に建てられたとされ、天正年間(1573~1592年)に火災で焼失したが、正保元(1644)年に再興。神光寺との関係についての明確な記録はないが、いつの時代にか、一体となったと考えられる。

 

 薬師如来像と日光・月光菩薩、十二神将を収めた内陣の扉は、年に2回だけ開く。そのうちの1回は1月8日の七薬師まいり。旧小川氏領内の七つの薬師堂を巡る習わしだが、お堂の位置は後醍醐天皇が吉野に開いた南朝から見た北東、「都」の鬼門の方角になっていると聞き、東吉野の日常に息づく、歴史の重みを実感する。

 

 (文・小幡直子、写真・藤井博信)

 

住所 天照寺 東吉野村小 電話07464(2)0388

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