考古学

菅原遺跡、立地や構造に驚き

円形建物跡から望む東大寺方面の景色。右奥に若草山が見える=奈良市疋田町4の菅原遺跡 拡大

 回廊と塀で囲まれた8世紀半ばの円形建物跡が見つかった奈良市の菅原遺跡。専門家らは時期や立地から、奈良時代の高僧・行基(668~749年)を供養するための施設との見解で一致する。ただ、同時代には類例のない構造に驚きの声が上がり、貴重な成果に注目が集まっている。

 行基の業績を記す「行基年譜」は行基建立四十九院の一つ「長岡院」について、菅原寺の西の岡にあったと記す。菅原寺は現在の喜光寺(奈良市)。菅原遺跡はまさに同寺の西方の丘陵東端に位置する。今回の調査区から南側約50メートルの隣接地では、昭和56年、奈良大学の発掘調査で建物基壇跡を検出。「長岡院」と推定されており、今回も一体のものと考えられる。

 専門家らの目を引くのは菅原遺跡の立地。平城京のすぐ西側で当時のメーンストリート二条大路の延長線上に近く、京域をはさんで東の東大寺と相対するような展望の良い場所に位置する。

 行基は東大寺の大仏造立に貢献したことで知られ、狭川真一・大阪大谷大学教授(仏教考古学)は「東大寺を意識した位置に行基を供養する施設を建立したのだろう」と話す。

 専門家が関心を寄せるのは円形建物の構造。舘野和己・大阪府立近つ飛鳥博物館長(日本古代史)は「奈良時代には例がなく驚いた」。鈴木嘉吉・元奈良文化財研究所長(建築史)は「どんな建物かは日本の研究者で分かる人はいない。それほど貴重で面白い遺跡」と語る。

 箱崎和久・奈良文化財研究所都城発掘調査部長(日本建築史)は「周囲の柱穴は屋根を支えるための柱で、多宝塔ではないか」と推測。多宝塔は文献上、平安時代初めに空海が金剛峯寺(和歌山県高野町)で造営を始めた塔が最初とされる。今回の遺構が多宝塔とすれば60~70年さかのぼる可能性があるという。

 ほかにも、木造と石造の二重基壇の上に八角円堂を置く構造や、土饅頭(まんじゅう)型のストゥーパ(仏塔)のような構造を想定する案がある。謎の建物は今後、専門家の議論を呼びそうだ。

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