考古学

最古級?「袴腰」鐘楼跡 - 奈良時代の可能性/興福寺

袴腰付きだった可能性が強まった鐘楼跡=24日、奈良市登大路町の興福寺 拡大
袴腰が付いた法隆寺東院鐘楼=斑鳩町法隆寺山内 拡大

 奈良市登大路町の興福寺鐘楼跡を調査している奈良文化財研究所(奈文研)は25日、鐘楼は下層が台形状に広がる「袴腰(はかまごし)」と呼ばれる形式だったとみられると発表した。袴腰付きの鐘楼は平安時代末以降とされていたが、同寺創建期の奈良時代までさかのぼる可能性がある。専門家は「建築史上、大きな成果」としている。

 鐘楼は鐘をつり下げて突き鳴らすための建物。興福寺では中金堂の北西に建てられた。奈良時代の建立以降、8回焼失したとみられ、江戸時代(1717年)の被災以降は再建されなかった。現在も基壇状の高まりと露出した礎石が残る。同寺の境内整備に伴い、奈文研が鐘楼跡を全面調査した。

 礎石は9個残り、多くは創建当初の位置を保っていた。礎石の配置から鐘楼は南北約10・1メートル(3間)、東西約6・5メートル(2間)。古代寺院では官寺の大安寺や薬師寺(いずれも奈良市)に次ぐ最大級の大きさだった。

 基壇は南北約15メートル、東西約11メートル。上面には素掘りの溝が方形に巡り、袴腰の基礎の石材などを抜き取ったと考えられるという。同寺を描いた鎌倉時代や室町時代の絵図にも袴腰形式の鐘楼が描かれている。

 基壇の外装には板石を貼り付けており、後世に数回据え直していた。基壇の周囲では複数回の焼失に対応した炭層や焼土も検出。基壇は室町時代以降に土を積み足して再整備されていたが、創建当初の位置や規模を踏まえて再建したことも分かった。

 袴腰付きの鐘楼は、記録に残る法隆寺(斑鳩町)の東院鐘楼(1163年建立)が最古とされてきた。袴腰の目的や起源には、装飾性や音響効果、中国建築の模倣などの説がある。

 奈文研は「袴腰付きの鐘楼としては発掘調査で明らかになった最古の事例で、奈良時代までさかのぼる可能性がある」としている。

 鐘楼跡の現地見学会を28日午前11時から午後3時まで開催。新型コロナウイルス感染症対策のため定時の説明は行わず、回遊型で実施する。小雨決行。要マスク着用。

▼ 記事の詳細は本紙をご覧ください

購読のお申し込み

ウェブ限定記事

よく読まれている記事

  • 興福寺中金堂再建記念 現代「阿修羅」展 図録
  • 奈良遺産70 奈良新聞創刊70周年プロジェクト
  • Tour guide tabloid COOL NARA
  • 奈良の逸品 47CLUBに参加している奈良の商店や商品をご紹介
  • ~奈良新聞と読者でつくる~ 各投稿フォーム

奈良新聞読者プレゼント

上野耕平サクソフォンコンサート招待券

上野耕平
提供元:学園前ホール
当選者数:2組4人
  • 購読のお申込み
  • バックナンバーご注文
  • 奈良マラソン
  • 出版情報 出版物のご購入はこちらから
  • バナー広告のご案内
  • 奈良新聞デジタル
  • ならリビング.com
  • 特選ホームページガイド
  • 奈良新聞社 採用情報
  • ならどっとFM78.4MHzのご紹介