考古学

同じ木型の瓦確認 - 橿原「田中廃寺」が前身/奈良の古代寺院「平松廃寺」

左が平松廃寺から出土した「単弁蓮華(れんげ)紋軒丸瓦」(飛鳥時代)。右は橿原市教育委員会蔵の同笵瓦の田中廃寺創建瓦=奈良市大安寺西2の奈良市埋蔵文化財調査センター 拡大

 7世紀後半創建とみられる古代寺院「平松廃寺」(奈良市平松3丁目など)の前身が、橿原市田中町の田中廃寺であることが奈良市埋蔵文化財調査センターの調査で明らかになった。平松廃寺跡で平成30年に出土した瓦が、田中廃寺の創建瓦と同じ木型から作られたものと確認。史料に残らない謎の古代寺院の解明に向けた貴重な成果といえる。瓦は奈良市大安寺西2丁目の同センターで開催中の「令和元年度春季発掘調査速報展」で展示されている。

 平松廃寺は平城京の条坊の西端で昭和10年に発見され、文献史料に伝わる寺名がないため地名から命名された。同62年に近隣の調査で出土した外側に唐草を巡らす「複弁8弁蓮華(れんげ)紋軒丸瓦」は美しさから偽物が出回るほどで、瓦コレクターの間では有名な寺だった。

 平成2年から7年にかけての田中廃寺の調査で8世紀の同笵(どうはん=瓦の模様をつける木型が同じ)軒瓦が確認され、田中廃寺が平城京に移建されたのが平松廃寺という説が出た。

 平松廃寺の発見から80年が経った平成28年に初めて発掘調査が行われ、溝から多量の8世紀の瓦類が出土した際は、2割程度が田中廃寺と同じ瓦だった。

 今回の調査(南北約30メートル、幅2・5メートル)では、遺構としては奈良時代前半の整地痕跡や同時代の溝を確認しただけだったが、7世紀後半の軒瓦2種類が出土。橿原市教育委員会で田中廃寺の創建瓦と実物同士付き合わせると、2種類とも同笵の瓦だった。

 平松廃寺からは、黒みを帯びた「黒瓦」と呼ばる瓦も見つかり、平城宮の第一次大極殿でも使われた。田中廃寺は蘇我氏傍系の田中氏の造立とみられるが、黒瓦は田中氏の位階から考えると不自然であり、平松廃寺は平城京移建後に官寺として扱われた可能性もあるという。

 同センターの原田憲二郎活用係長は、「形がよく残っている方の瓦は、木型の傷と須恵器のように黒みがかった焼き方も一緒。前身寺院が田中廃寺だったことは確実で、寺名さえ不明な平松廃寺を考える上で貴重な発見」としている。

 このほか、速報展では古墳時代の集落遺跡「南紀寺遺跡」や平城京の南端の左京九条三坊五・六坪の成果も展示。午前9時から午後5時開場。土日祝休館。問い合わせは同センター、電話0742(33)1821。

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