考古学
弥生期は環濠集落? - 石包丁の制作集団か/藤原京期の邸宅跡 紀元前の溝4本

藤原京期の邸宅跡が見つかった橿原市四条町の発掘調査地周辺は、縄文時代から古墳時代にかけての慈明寺遺跡としても知られる。調査区では弥生時代前期(紀元前5~6世紀ごろ)の溝4本も見つかった。県立橿原考古学研究所は「県内最古級の弥生時代の環濠(かんごう)集落の可能性がある」としている。
4本の溝は南東から北側に向けて曲線を描くような形で見つかった。最も大きな溝は幅1・5~3メートル、深さ約1メートル。いずれの溝も弧を描き、人工的に掘られていることから環濠の可能性が高いという。環濠とすれば、居住空間は北東に存在したと想定される。同時期の環濠集落では川西根成柿遺跡(同市、大和高田市)がある。
過去には慈明寺遺跡の北西、四条シナノ遺跡(橿原市)でも時期がやや新しい環濠が見つかっており、環濠が機能した期間は短かったとみられる。
溝からは土器のほか、石包丁の未成品や石包丁の石材となる流紋岩が出土。赤く塗られた土器も見つかった。
調査担当の木村理恵主任研究員は「奈良盆地でコメ作りを始めた時期に、畝傍山や耳成山で採取した石材を加工して石包丁を製作した集団の一つと考えられる」と話す。
▼ 記事の詳細は本紙をご覧ください
購読のお申し込み