考古学

南門の跡を初確認 - 大型、正門の格式 石敷き一部など検出/橿原・本薬師寺跡

本薬師寺跡で初めて確認された南門跡=橿原市城殿町(橿原市教育委員会提供) 拡大

 橿原市城殿町の本薬師寺跡(特別史跡)で、南門の跡(7世紀末~8世紀)が初めて見つかり、市教育委員会が25日、発表した。全体の構造は不明だが、正門にふさわしい大型の門を備えていたことが分かった。藤原京以前の寺院では正門の状況が分かる例が少なく、市教委は「日本の寺院史上でも貴重な発見」としている。

 市教委は2~3月、本薬師寺跡の南側、史跡地範囲外の計118平方メートルを調査した。

 中心伽藍(がらん)の中軸線上、中門の南約20メートルの南門想定地で、基壇外周の石敷き(幅3・3メートル)の一部▽わずかに残る基壇の盛り土▽門の礎石を据え付けた穴や石を抜き取った穴―を検出。南門が存在することを確認した。

 礎石の痕跡は3個を確認したが、遺構の位置関係などからさらにもう1個あったとみられ、これらは南門北辺の礎石(柱)列に当たると考えられる。門の規模は東西3間(約15メートル)で、柱間は17尺(約5メートル)になる。市教委は現時点で南北2間を想定する。

 中門は東西3間(中央間17尺、両脇間15尺)の約14メートルで、それと比べ規模がやや大きい。南門は南側の藤原京八条大路から参拝する際の寺の正門だったと考えられる。

 飛鳥時代の飛鳥寺(明日香村)は南門より中門が大きいが、奈良時代の平城京の寺院になると東大寺南大門(奈良市)のように南門が重視されるようになる。本薬師寺跡はその過渡期の形態を示すとみられる。

 柱間17尺は藤原宮跡(橿原市)の主要な門と同じ規格で、田辺征夫大阪府埋蔵文化財センター理事長(考古学)は「平城京の寺院と比べると規模は小さいものの正門としての格式を備えているといえる。寺域が明確になり、特別史跡の範囲をどうするかなど、保存が今後の課題になる」と話している。

 現場はすでに埋め戻されている。調査成果や出土した瓦は、29日から橿原市川西町の「歴史に憩う橿原市博物館」で始まる特別展「ならの史跡に行こう(飛鳥―江戸時代)」で展示する。12月15日まで。

 ◆本薬師寺

 天武天皇が680年、のちの持統天皇になる皇后の病気回復を祈って建立を発願した。金堂の手前に東塔と西塔を配置した中心伽藍(がらん)を、南側の中門と北側の講堂をつないだ回廊が取り囲む。平城京遷都に合わせて現在の薬師寺(奈良市西ノ京町)に寺は移り、元の寺は本薬師寺と呼ばれるようになった。寺跡には現在、金堂や東西両塔の基壇と礎石が残る。

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