考古学

墳丘の貼り石か - 王族埋葬の可能性/香芝・平野塚穴山古墳

平野塚穴山古墳で見つかった貼り石(後方は石槨入り口)=25日、香芝市平野 拡大

 香芝市平野の国史跡・平野塚穴山古墳(7世紀後半)で、墳丘に貼ったとみられる石材が見つかり、市教委が25日、発表した。二上山で産出される凝灰岩で、同様の石材を使った貼り石は、斉明天皇の墓とされる牽牛子(けんごし)塚古墳(明日香村)と天武・持統陵(同)で確認されており、平野塚穴山古墳が天武天皇につながる王族の墓だった可能性が強まった。

 史跡の整備に伴い、平成28年から墳丘などを調査している。貼り石が見つかったのは墳丘南側の斜面で、15~30センチの石が2メートルほどの範囲に堆積していた。墳丘を貼り石で覆った可能性がある。

 同古墳の石室は横口式石槨(せっかく)と呼ばれる形式で、左右の壁面を構成する石材の正面下部に幅12~15センチ、高さ5~8センチ、奥行約10センチの穴が計4カ所で見つかった。同様の穴は天井石の側面でも4カ所で見つかり、石材を動かす際に使った「てこ」の穴とみられる。

 明日香村の高松塚古墳とキトラ古墳(いずれも特別史跡)でも「てこ穴」が確認されており、市教委は「飛鳥地域で王陵級の墳墓を築造した石工集団と同じ系統の集団によって石室が築かれた可能性がある」としている。

 石室内では、麻を編んで漆で固めた漆塗籠(うるしぬりごめ)棺の破片約20点も新たに出土。昭和47年の第1次調査でも出土しており、被葬者像につながる資料として注目される。

 今回の調査で、石槨のある墳丘上段が一辺約17・4メートル、高さ約2・7メートルと判明、全体では一辺25~30メートル、高さ約5・4メートルの方墳と推定できるという。

 平野塚穴山古墳は6世紀後半~7世紀に築造された平野古墳群の一つで、江戸時代の「平野村図会」(文化4年)では顕宗陵と記されている。

 現地見学会は30日午前11時から(受け付けは午後2時30分まで)。少雨決行。周辺に駐車場はない。現地はJR志都美駅から約1・4キロ。

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