考古学

平城宮跡・東門の規模判明 - 基壇や築地塀を確認 東西10メートル、南北20メートル

東区朝堂院東門の基壇(手前)と築地塀の雨落溝。写真の左後方に見えるのが第2次大極殿跡の基壇=13日、奈良市平城宮跡 拡大
東朝堂院東門の基壇と同規模だった建部門の復元建物=奈良市の平城宮跡 拡大

 奈良文化財研究所は13日、奈良市の平城宮跡東区朝堂院地区で奈良時代後半の東門跡を調査し、東西の規模が約10メートルだったと発表した。過去の調査で南北規模は約20メートルと判明しており、東門全体の規模が確定した。また東門の南北に取り付く築地塀も見つかり、同時期の東区朝堂院の東西幅が177メートルだったことも確認された。

 東門の規模確認などを目的に、10月1日から約560平方メートルを調査。東門の基壇や雨落溝、築地塀などの遺構を確認した。

 東門の基壇は後世に削られたため、礎石や柱を据えつけた穴などは見つからなかったが、厚さ約20センチの積土が残っていた。西側に沿った「コの字」形の雨落溝(幅1~1・2メートル、深さ20~40センチ)を南北約22メートル、東西約4・5メートルにわたって確認。一部にこぶし大の石列や凝灰岩の切り石があった。

 基壇の南北では軟質土と小石が混じった硬質土を約10センチごとに交互に積んだ幅約3メートルの築地塀跡が見つかった。その東西両側には幅0・6~1メートル、深さ10~50センチの雨落溝が並行。西側の溝は東門の雨落溝に接続し、こぶし大の石列も見つかった。

 東門基壇の東側は後世の水路に壊されていたが、築地塀と門の中心線は一致することから、築地塀の中心線から基壇西端の距離(約5メートル)を東へ反転させることで基壇の東西規模は約10メートルと判明。南北規模も雨落溝の遺構から約20メートルと再確認された。

 基壇規模から東門は礎石建ちで、南北6列、東西3列の柱列の建物と推定。雨落溝をはじめ周辺から大量の瓦が出土したことから、東門と築地塀ともに瓦ぶきだったと考えられる。平城宮内では中規模の門で、東院南門にあたる「建部(たけるべ)門」とほぼ同規模だった。

 朝堂院は大臣や幹部級の官人が国政の重要な事項を決める現代の国会議事堂のような施設。奈良時代後半の平城宮では中央と東の地区に二つの朝堂院があった。東区朝堂院は天平17(745)年の還都後に整備された第2次大極殿の南側に位置。同時代前半には大極殿院が舞台だった天皇の即位や元旦朝賀などの儀式も行われるようになった。

 今回の調査成果により、奈良時代後半の東区朝堂院は東西約177メートル、南北約284メートルと確定した。

 調査を担当した奈良文化財研究所の福嶋啓人研究員は「東区朝堂院は東門だけがブランクのようになっていたため、全容を知る上で大きな成果。今後は奈良時代前半の遺構の調査を進めたい」としている。現地見学会は15日午前11時から午後3時まで。説明は随時。

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