考古学

旧境内塔院の北門跡 - 奈良末ー平安初期か 境内横切る大路確認/大安寺

史跡大安寺旧境内から見つかった六条大路南側溝と塔院北門跡。後方に見えるのが現在の大安寺南門=7日、奈良市東九条町 拡大

 奈良市教育委員会埋蔵文化財調査センターは7日、奈良市東九条町の史跡大安寺旧境内で、東西両塔を囲む塔院の北門跡が見つかったと発表した。塔院は金堂などが並ぶ中心伽藍(がらん)の南側に位置。これまで築地塀の雨落ち溝が確認されていたが、建造物の遺構が見つかるのは初めて。また平城京六条大路南側溝も見つかり、境内を同大路が東西に横切っていたことが確実となった。

 遺跡の範囲確認を目的に9月上旬から、現在の大安寺南門前で約200平方メートルを調査。南大門基壇正面から南へ約32メートルの位置で塔院北門跡を確認した。

 門は東西2本の柱とその上部に連結した横木で支える「棟門(むなもん)」と呼ばれる形式。東西の門柱跡は長方形で礎石の基礎になる小石が残り、門柱の穴や扉の軸穴、門と扉の隙間を埋める方立(ほうだて)の穴を設けた礎石があったと推定される。

 門の幅は約5・1メートルで南大門の柱間と一致。門柱間の中央には扉をとめる部材を据えたとみられる礎石もあった。周辺では瓦が多く出土し、両脇に取り付く築地塀とともに瓦ぶきの屋根だったらしい。門跡の年代の特定は土器などの遺物が少ないために難しいが、西塔の建立時期と同じ奈良時代末から平安時代初めごろと推定される。

 北門から北へ約1メートルの位置に奈良―平安時代の東西溝(幅約2メートル、深さ約20センチ)を検出。東へ約30メートルで行った昨年の調査で見つかった溝と延長部が一致し、塔院北門との位置関係から六条大路南側溝とみられる。同寺の寺域をめぐっては境内を六条大路が通らない復元案もあったが、主要伽藍と塔院の間を同大路が横断していたことが確実となった。

 また南側溝から北へ約4メートルの所では東西溝(幅約3・5メートル、深さ約40センチ)と、その溝に架かる橋(東西約5・4メートル、南北約6メートル)の遺構も検出。南側溝埋没後に造られたとみられ、中世の南大門再建の時に周辺も大規模な改変が行われたと考えられる。

 続日本書紀によると、大安寺は霊亀2(716)年、前身寺院の大官大寺が現在の平城京六条四坊に移転。東大寺や興福寺をしのぐ広大な寺域を誇った。塔院には高さ約70メートルの七重塔が東西2基あったとされる。

 調査を担当した原田憲二郎係長は「平城宮朱雀門と同じ規模だった南大門と比べ、塔院北門が簡素な門だったのは意外だった。南側にそびえる七重塔が見えやすいよう、景観を考えて背の低い門にしたのかもしれない」と想像している。

 現地説明会は10日午前10時から午後3時。

 問い合わせは、市教委埋蔵文化財調査センター、電話0742(33)1821

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