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天台座主620年ぶり法要 - 響く独特な声明 交流の歴史刻む/興福寺 中金堂落慶 延暦寺から出仕

中金堂落慶を祝い表白文を読み上げる森川座主=10日、奈良市登大路町の興福寺 拡大

 約300年ぶりに再建された興福寺中金堂の落慶を祝い、天台宗総本山延暦寺の森川宏映天台座主(92)が10日、奈良市登大路町の法相宗大本山・興福寺で法要を営んだ。両寺はともに国内の仏教界を代表する大寺で、かつては「南都北嶺(ほくれい)」と並び称されて対立、また一方では長い交流の歴史も持つ。興福寺によると、天台座主が同寺で法要を営むのは約620年ぶりという。

 この日は、延暦寺など天台宗の僧侶25人が出仕。輿(こし)に乗った森川座主の行列が本坊から境内を進み、中金堂へ向かった。

 天台宗の作法で営まれた法要では、同宗独特の節が付いたお経の「天台声明(しょうみょう)」が唱えられ、美しい調べが南都の空に響いた。森川座主は中金堂の落慶を祝い、伽藍(がらん)安寧や天下泰平などを願う表白文を読み上げた。

 また華道の大和未生流家元の須山法香斎さんによる献花なども行われた。

 平安時代以降、興福寺は「南都」、延暦寺は「北嶺」と呼ばれ、僧兵が「強訴」を繰り返し、京都の朝廷に対して大きな影響力を持っていた。両者は9世紀初め、延暦寺が大乗戒壇を設置したことで対立。天台宗の開祖・最澄と法相宗の僧侶・徳一が教義をめぐって激しい論争を繰り広げるなど、確執を繰り返した。

 一方で、室町時代の古文書「南都七大寺巡礼記」には、正安2(1300)年に座主源恵(げんね)が、応年6(1399)年に座主尊道がそれぞれ中金堂再建法要に参加した記録がある。

 今回はこうした歴史を踏まえ、興福寺の多川俊映貫首が延暦寺に依頼して実現したという。

 多川貫首は「天台座主が出仕され、ご丁寧な供養をいただいて感謝しています。大変、きれいで繊細な声明に感激した」と感謝。

 森川座主は「立派の中金堂が完成し、さすがは興福寺だと思った。延暦寺古来の法要を勤めて表白文を読ませていただき、生涯忘れることない喜び」としていた。

 中金堂落慶法要はきょう11日、結願(けちがん)を迎え、20日から一般公開が始まる。

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