考古学
藤原氏ゆかり貴族宅? - 墨書土器に「宮寺」/平城京の邸宅跡で

奈良時代(8世紀)の貴族の邸宅跡とみられる奈良市法蓮町の平城京左京二条四坊十坪の発掘現場で、「宮寺」と書かれた墨書土器が出土していたことが分かった。法華寺(同市法華寺町)の前身寺院で、藤原氏出身の光明皇后が創建した宮寺を指すと推定。邸宅跡と藤原氏との関係をうかがわせる資料として注目される。
昨年12月、同市内で開かれた木簡学会で、奈良市埋蔵文化財調査センターの永野智子主事が報告した。
平城京左京二条四坊十坪では平成28、29年に同市教育委員会が行った調査で、奈良時代中~後期の多数の建物跡を確認。平城京の宅地単位で「一町」の規模があり、高級貴族の邸宅跡と考えられている。
木簡1点と墨書土器63点が出土。そのうち、8世紀中ごろの須恵器の杯か皿とみられる土器の底部外面に「宮寺」と書かれていた。
続日本紀によると、宮寺は父親の藤原不比等(ふひと)の邸宅を受け継いだ光明皇后が天平17(745)年に創建。その後、法華寺に名前が改められた。これまで「宮寺」と書かれた墨書土器は法華寺や平城宮跡東院地区で出土している。
調査地は法華寺から南東へ約800メートルに位置し、周辺には高級貴族の邸宅が立ち並ぶ平城京の一等地。居住者を示す史料などはないが、当時の有力貴族・藤原氏と関係が深い寺の名が書かれた土器が見つかったことで、藤原氏に関連した人物だった可能性もある。
このほか、「菅家」と書かれた奈良時代後半の土器も出土。現在の堺市を拠点とした豪族、菅生氏と関係も考えられるという。
永野主事は「『宮寺』の土器は、何らかの関係があって寺から運ばれたと考えられる。邸宅の居住者を知る手がかりの一つ」としている。
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