考古学

舒明天皇の初葬地か - 飛鳥最大の方墳/明日香・小山田遺跡

巨大な方墳の一部とみられる小山田遺跡の掘割=昨年12月、明日香村川原 拡大

 明日香村川原の小山田遺跡で、7世紀中ごろの巨大な方墳の一部が見つかり、県立橿原考古学研究所が15日、発表した。一辺50メートル以上で、石舞台古墳(一辺50メートル)を上回り、飛鳥地域の方墳では最大。「掘割」に石が敷き詰められ、墳丘裾には板状の石が積まれていた。同研究所は、「舒明(じょめい)天皇が最初に葬られた古墳ではないか」とみている。古代豪族・蘇我氏の墓とする見方もある。

 県立明日香養護学校の校舎の建て替えに伴い、約755平方メートルを調査した。「掘割」は東西方向に延びており、長さ48メートル。北面には花崗岩が約30度の傾斜で張られていた。現状の高さは約1メートルだが、1・5メートル以上あったとみられる。底には約15~20センチの花崗(こう)岩が幅3・9メートルにわたって敷き詰められていた。

 墳丘裾とみられる南面は板石積みで、10段(高さ60センチ)分を確認。結晶片岩(緑泥片岩)を基底とし、「榛原石」(室生安山岩)を段状に積んでいた。榛原石は幅30~40センチ、厚さ約5センチ。

 石には抜き取られた痕跡があり、埋没前に人為的に抜かれた可能性がある。

 出土した土器や使用された石の種類などから、同研究所は7世紀中ごろの築造と判断した。

 昭和30年代の地形図には、調査区南側に墳丘とみられる丘状の高まりがあり、「掘割」は墳丘北辺に当たると推定できる。墓域はさらに広がるという。

 榛原石を使った板石積みは、舒明天皇陵とされる桜井市忍阪の段ノ塚古墳(7世紀中ごろ)と共通する。

 日本書紀によると、舒明天皇は没後翌年の642年に「滑谷岡(なめはざまのおか)」に葬られ、643年に「押坂陵」に改葬された。

 同研究所の菅谷文則所長は「墳丘の裾を板石で装飾する例は他になく、(改葬前の)舒明天皇の初葬地と考えられる」としている。

 研究者の間では、時期や立地から、蘇我蝦夷(643年没)の墓とする説も出ている。

 現地説明会は18日午前10時から午後4時まで。駐車場はない。現場は近鉄岡寺駅から東へ徒歩約20分。

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