考古学

創建当初の規模踏襲 - 礎石位置変わらず/興福寺西室

創建当初の位置を保つ礎石が見つかった興福寺の西室跡。後方の建物は南円堂=26日、奈良市登大路町 拡大

 興福寺と奈良文化財研究所は26日、僧侶の生活の場だった同寺の西室(西僧房)が、奈良時代の創建当初の建物位置と規模を踏襲して繰り返し再建されていたことが分かったと、発表した。西室跡は再建工事が進められている金堂の西側にあり、発掘調査で創建当初と位置が変わらない礎石8個を確認。記録では火災などで計7回再建されているが、専門家は「伝統ある伽藍を維持しようとした寺の情熱を感じる」としている。

 「興福寺境内整備基本構想」に基づき、今年6月から西室跡の南半分約985平方メートルを調査。奈良文化財研究所によると、建物の柱を据えつけた大小の礎石19個のほか、礎石の据え付け穴や抜き取り穴を確認した。

 大型の礎石(直径約90~115センチ)は13個確認され、うち8個は動かされた形跡がなく創建時の位置ままと推定。据え付け穴や抜き取り穴も作り変えた跡がなく、建物は創建当初の位置と規模を保っていたことが分かった。

 柱間の寸法は東西が約2・95メートル、南北は約6・65メートルで南端の2カ所のみ約4・75メートルとやや狭かった。また、南北の柱間には小型の礎石(直径約45~60センチ)が6個が見つかり、各柱間に間柱が2本ずつ入っていたとみられる。

 この結果、建物規模は南北約62・7メートル、東西約11・8メートルと推定。南北の柱数は奈良時代から平安時代の古文書「興福寺流記」の記述や地表面に露出していた礎石などから12本と考えられていたが、11本だった可能性が強まったという。

 調査を担当した奈良文化財研究所の番光研究員は「柱間の寸法を考えると、(柱が12本の場合)北室(北僧房)の礎石に限りなく近づいてしまう」としている。

 興福寺は藤原不比等が720年代に建立。中金堂と講堂の東・西・北を「コの字型」に取り囲む三面僧房があった。西僧房は西室と呼ばれ、平安時代から江戸時代までに計8回焼失。享保2(1717)年の焼失後は再建されなかった。

 現地見学会は28日午前11時から午後3時。説明は午前11時30分と午後1時の2回実施予定。小雨決行。

 問い合わせは、奈良文化財研究所研究支援課、電話0742(30)6737。

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