考古学

大安寺は「未完の大寺」? - 平安遷都で工事中断か

旗竿の支柱を立てたとみられる穴=奈良市東九条町 拡大
江戸時代の絵図に描かれた西塔(大安寺蔵) 拡大

 南都七大寺の一つに数えられた奈良市の大安寺で、東西両塔の周囲に想定されていた築地塀や南門が存在しないことが、市埋蔵文化財調査センターの調査で分かった。同センターは、僧侶の養成施設が優先されて塔周辺の整備が後回しとなる一方、平安京への遷都で工事が中断、「未完の大寺だった」との見方を強めている。

 史跡整備に伴い、西塔南側(同市東九条町)の約900平方メートルを発掘調査。南門が想定された塔院中軸線上では奈良時代の川跡が見つかり、南門や南面の築地塀は存在しないことが分かった。

 西面の築地塀も遺構はなく、二つの塔がさえぎるものもないままそびえ立っていたことが分かった。造成工事も一部にとどまり、西に傾斜する地形がそのままだった。

 大安寺は二つの塔が南に独立した伽藍(がらん)配置で、東塔が奈良時代後半、西塔は奈良時代末~平安時代初めに完成したと考えられている。いずれも七重だったが、平安時代に焼失した。

 天平19(747)年に同寺が作成した財産目録には「四坊塔院」と書かれており、区画施設のある「院」として計画されていた。

 同寺が所蔵する江戸時代の絵図は元資料が不明だが、両塔の周囲に区画施設は描かれていない。

 今回の調査では、西塔の中軸線をはさんで旗竿の支柱とみられる柱穴も6個確認。塔の完成など、大規模な法要で威儀を高めたらしい。井戸のような穴ではガラスのるつぼも出土した。

 大安寺は飛鳥に営まれた大官大寺が前身で、平城京に移転して大安寺となった。僧侶の養成大学でもあり、約900人の僧侶がいたとされる。

 調査担当の原田憲二郎主任は「最も大きな建物は講堂で、僧侶の養成が重視されていた。塔院は後回しとなり、未完に終わったのだろう」と話している。

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