歴史文化

広大「松林苑」実証 - 東築地跡を初確認/平城宮北側

 平城宮の北側に営まれた奈良時代の庭園施設「松林苑」が、現在の想定の約1・5倍の規模だったことが確実になった。県立橿原考古学研究所が奈良市佐紀町で踏査を行い、東を区切る築地跡を初めて見つけた。県の遺跡地図も改められる見込みで、平城宮の倍近い“大松林苑”が正式に認められることになる。

 松林苑は続日本紀に登場し、聖武天皇は計6回出かけて宴会を開くなどした。離宮のほか、薬草園や菜園、動物園もあったと考えられている。

 昭和47年に発見された土塁をきっかけに調査が進み、県遺跡地図では水上池の東側で区切る東西約1キロ、南北約1・3キロが想定されている。

 平成9年には、さらに東側の航空自衛隊幹部候補生学校(奈良市法華寺町)の敷地内で庭園跡や大量の瓦が見つかり、範囲の広がりが確実視されていた。

 踏査は同研究所の所員9人が参加して行われ、地形などから推定される松林苑の東端と北西隅を歩いて築地の痕跡などを探した。

 東の築地跡は国道24号西側の尾根で見つかり、幅4・5〜4・8メートル、高さ0・5〜0・8メートルの高まりが長さ約100メートルにわたって続いていた。遺跡地図の範囲から約350メートル東側で、同研究所はウワナベ古墳も取り込むとみている。

 尾根の斜面では瓦や土器など約20点の遺物を採取。瓦の様式は続日本紀に松林苑が登場する年代(729〜746年)と一致した。

 松林苑の範囲は現在の想定から東西距離が大幅に伸び、約1・8キロ。面積も約1・5倍に広がる。

 同研究所の木下亘・調査課長は「東の築地の可能性が高く、(想定の範囲外で)見つかっていた遺構が松林苑の施設と言えるようになる」と話している。

 

菅谷文則・県立橿原考古学研究所長の話

平城宮と密接に結びついた遺跡で、聖武天皇のころに特に重視されていた。東の築地跡が見つかった意義は大きく、今後も調査・研究を進めていきたい。

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