考古学

背が高い「奈良の縄文人」 - 観音寺本馬遺跡の人骨13体

土の中から初めて姿を現した“奈良県の縄文人”。屈強な壮年男性が腰と足を折り曲げて埋葬されていた=7月30日、御所市の県立橿原考古学研究所整理棟 拡大

 橿原市と御所市にまたがる観音寺本馬遺跡から、約3000年前の縄文人の骨が大量に出土した。13体が年齢や性別、体の大きさなどの情報を語っていた。“奈良県の縄文人”と現代人の初めての出会い。人骨の特徴を、片山一道・京都大名誉教授(骨考古学)が読み解いた。

 長軸1.2メートル、短軸0.9メートルの土壙(どこう)墓に眠っていた20~60歳の男性。仰向けで、腰とひざの関節はじん帯などを切って強く折り曲げて埋葬されていた。

 身長は推定165センチで、平均的な縄文人(157~159センチ)よりやや背高。そのほかは縄文人らしい特徴を備えていた。

 頭は相対的に大きく5、6頭身で、隆起した額、大きな鼻骨、垂れ気味の細い目などが顔面の特徴。腰や足の骨には一般的な現代人にない柱状の隆起があるなど頑強に発達しており、「クロスカントリー競技のような動きを毎日していた人たち」と片山氏。一方で、手を使わないサッカー選手のように鎖骨が小さめという。

 全体的には「現代人より2回りも3回りも骨太」だが、小柄で華奢(きゃしゃ)な印象を受ける成人女性の骨も。縄文人にも個人差があったようだ。

 歯の所見では、他府県の貝塚人骨に比べて咬耗(こうもう)が弱い。魚介類中心の食性の貝塚人骨に対し、「奈良の縄文人はあまり魚介類にありつけなかったのかも」と片山氏は地域性にも注目。

 死因が特定できる骨は残っていなかったが、歯の質の衰えから飢餓経験のある8―10歳の子供や成人もいた。

 今後は死亡年齢の絞り込みや、削って加工した前歯や埋葬状況と社会組織の相関関係などが研究課題に。観音寺本馬遺跡は「近畿の縄文人を知る千載一遇のチャンス」と位置づけられた。

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