漢方診療日記

第28回 夫の治療を嫌がる妻 - 「元気に戻らないで」

夫は70歳、建築デザイナーだ。数々の賞を受賞した有名な建築家だ。現在、子どもは独立し、68歳の妻と二人暮らしだ。


数々の公共施設を手掛けた大物だ。社会的な成功も得て、本人は健康な若い時から少し横暴な態度だったという。世間に才能を認められ、部下には暴君で、妻、子どもにも昔ながらの「父親」として通した。みんな、お父さんの顔色をうかがっていた。お父さんの許可を取らなければ、何事も進まなかった。中年になった娘にも聞いたが、怖い父親だったという。


今は以前より仕事量は減ったが、5年前まではスタッフを抱えて事務所を運営していた。数年前から物忘れが急激に進み、神経内科にて痴呆(ちほう)の診断を受けた。


その後、仕事を辞(や)め、自宅療養をしていた。しかし、2年前から物忘れの症状がひどくなった。徘徊(はいかい)などの症状はない。さらに症状が進み、妻に暴力を振るうようになった。特に酒を飲んだらひどいらしい。物を投げたり、軽く殴られるという。当然、仕事はしなくなった。


しかし、今は痴呆の診断を受け、昼はデイサービスに通う。ただ、夜は帰って来るので、夕食時に暴力を振るわれるのが、耐えられないという。


神経内科での処方は、あまりうまく効かないという。薬を強くすると、翌日の午前中まで、「ぼーっ」としてしまい、デイサービスにも行かなくなるという。薬を弱いものに変更すると、夜暴れて暴力がひどくなるという。


このような状態で、私の漢方外来に来られた。妻と娘が付き添いで来た。「痴呆が治る漢方薬がないか」とのことだった。「痴呆を治して、昔のような生活に戻りたい。せっかくリタイアして時間もできたから、船旅でもしたいと思っていたのに、今の状態なら何もできないので、お母さんがかわいそうだ」と娘が言う。


東洋医学的な四診の後、証を決定した。処方をして、4週間後に来るようにお願いした。不眠による背部の緊張感が強いため、鍼(はり)もした記憶がある。


3カ月後、その患者さんが来た。今度は妻だけだった。「漢方薬を中止するか、もっと別のものにして欲しい」とのこと。理由を聞くと「元気になりすぎて、元の怖い夫に戻った」のだそうだ。漢方薬を飲んで暫(しばら)くすると少し記憶力が良くなり、少し前なら気にしなかった細かいことまで、ネチネチ怒るようになったのだと言う。


「それは昔に戻ったということではないのですか?」と私が妻に聞くと、「そうだ」と言う。


結局、漢方は胃腸に対するものだけにした。患者さんの痴呆の状態は、あまり改善しない。妻は、昔の夫に戻って欲しくないのだろう。家族を考えさせられた。

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