漢方診療日記

第19回 不幸を売る - 苦悩から生まれた小説

「作家の仕事」と言っても私のではない。私は医者。診察が仕事だ。52歳・男性、有名な小説家―。


不眠、気力がなくなり、作品が書けない。有名な小説家だ。詳しくは興味が無いので覚えてないが、有名な賞をとっているらしい。


最近離婚し、現在、一人暮らし。はじめは食欲がなくなった。体重は身長170センチで85キロだったのが80キロに落ちてきた。不眠がひどくなり、昼夜逆転になっていった。


少しずつ机に向かうことが辛くなり、ボーッとすることが多くなってきた。無理に机に向かっていても書くエネルギーが湧かなくなった。外出するエネルギーもなくなり、買い物も行けなくなった。家の掃除もできなくなり、ゴミ屋敷化していった。 


鬱(うつ)の経験が無い人には分からないだろうが、何も理由が無いのに、居たたまれない心の苦痛に苛(さいな)まれる。ただ、座っているだけで地獄に住む状態だ。


この段階になり、70代の田舎の両親が異変に気付き、精神科に連れて行ったのだ。その後、1年間、近医の精神科に親が通院させたが症状が改善せず、仕事の連載も休載になった。


知人の紹介で私の漢方外来を受診した彼は、抗精神病薬と抗鬱薬の副作用のせいか、表情は貧しく、あまりしゃべろうとはしなかった。両親も同席した。


「離婚裁判と締切のプレッシャーで鬱になった」と作家の先生は訴える。1年間、診察、治療を経て、ほぼ鬱の症状は改善した。彼の鬱の原因は、両親との関係に起因する部分が大きかった。


これで仕事の小説が、はかどると私は思った。


しかし、彼は面白い小説を書くことが出来なくなった。小説の評価はどんどん落ちていった。昔はストレスと苦悩、コンプレックスの状態から、自然に言葉が出て、それが小説に簡単になったそうだ。そして書くことで、少し落ち着きを取り戻していたという。書くことで精神療法をしていた感がある。


しかし、最近は、ただ陽を浴びているだけで、幸せだという。特に書く必要を感じないとも言う。生活費はバイトで稼いでも良いと言う。


作家先生を以前の心の地獄に突き落とせば、世間が喜ぶ作品がたくさん世に出ると思う。でもそれは、彼の幸せではない。彼に「以前の状態に戻りたいか」と聞くと、「絶対嫌だ」と言う。


私もそうだと思った。私は自分の患者の幸せを考える。「自己を破壊して作品を残して不幸を楽しむ」そんな人生も肯定するが、やはり、患者は幸せになって欲しい。

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