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高松塚古墳はいま ■上■

【2005.06.26 奈良新聞】


 国特別史跡に指定されている明日香村平田の高松塚古墳(7世紀末~8世紀初め)はいま、石室に描かれた国宝壁画の劣化問題で大きく揺れている。カビの発生などが原因で、文化庁の「国宝高松塚古墳壁画恒久保存対策検討会」が対応を協議。石材ごと取り外して壁画を修復保存する「石室解体案」が採用されようとしている。しかし、それは古墳自体を破壊することになり、壁画古墳としての学術的価値は大きく損なわれる。極彩色壁画の発見から33年。高松塚古墳は重大な局面を迎えようとしている。


高松塚古墳
西壁に描かれた女子群像。切手にもなった有名な壁画だが、
カビのしみや退色で発見当時の鮮やかさはない
(中央公論美術出版「国宝高松塚古墳壁画」から)


 昭和47年3月21日、発掘の手を休めて昼食に出かけていた学生たちは、急きょ、現場に呼び戻された。網干善教・関西大助教授(現名誉教授)は興奮を抑えて告げた。「石室に人物の絵がある。大変な騒ぎになるので指示に従ってほしい」。保存への長い道のりはこの時から始まった。

 文化庁の動きは早かった。翌4月には専門家を集めて応急保存対策調査会を設置、石室内の空気成分などを調査した。その後、数々の議論を経て導き出されたのが「現地保存」の方針だった。

 昭和51年3月には鉄筋コンクリート造りの保存施設が墳丘に完成。地中と同じ温・湿度に調整できるこの建物が、石室への出入り口となった。完成を待って壁画の強化処置が始まり、定期点検を続けながら30年が経過した。何の処置もないまま長年放置されたキトラ古墳とは対照的だ。

 猪熊兼勝・京都橘大教授は「長い時間かけて国は重大な実験をした。何もしなかったキトラ古墳の壁画は残り、手を尽くした高松塚壁画は劣化した。解体は保存科学の敗北宣言」と話す。

 昨年まで公にされなかったが、高松塚古墳の石室には繰り返してカビが生え、処理に使ったアルコールなどが劣化を早めた可能性が強い。

 カビの原因が墳丘の密閉性低下にあるとみた文化庁は、昨年10月から墳丘を発掘調査。表土を取り除いて後世の掘削跡などを確認した。だが、わずか30年で急激に傷んだ原因は特定されていない。そんな中、究極の選択とも言える解体論が急浮上した。

 猪熊氏は「十分な検証もないまま墳丘の竹を切ったり土を取り除くなどした。今度は解体。もはや暴走としか思えない。病名も分からず手術する医者はいない。文化庁は冷静な判断ができなくなっているのだろう」と指摘する。

 壁画の発見は全国に「考古学ブーム」を巻き起こし、遺跡保存の必要性が叫ばれるようになった。その原点ともいえる高松塚古墳の心臓部を“移築”することへの危機感も強い。保存の大前提である「原位置論」が崩れるからだ。

 昭和48年3月、高松塚古墳は国の特別史跡に指定された。隣接の高松塚壁画館には、年間20万人近くが訪れる。古墳の見学者は少なくともそれ以上。石室解体は、多くの国民に親しまれた特別史跡の破壊を意味する。

 壁画の発見者でもある網干氏は「国宝の壁画を守るために特別史跡を壊すというのはどう考えてもおかしい。二者択一ではなく最後まで共生の道を探るべき」と強調する。開腹して切り取る西洋医学ではなく、東洋医学的な発想で道が開けるかもしれないという。

 発掘の方法にも疑問がある。盛り土の状態を確認するため、文化庁は表土全体をはぎ取った。「本当に現地で守るつもりならあんなむちゃな発掘はしない。解体は最初から引かれた路線だったのではないか」

 究極の結論を選ぶまでにまだまだ試みるべきことがある―。石室解体を拙速とみる研究者は多い。


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