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第三部 飛鳥を伝える

古代飛鳥のイメージ 地下に眠る歴史を再現

 日本書紀が伝える1300年前の都は、明日香村のさほど深くない地下に眠っている。歴史背景を知ることで、訪問の楽しみは全く違ったものになるだろう。古代飛鳥の様子を伝え、現代の明日香をもっと好きになってほしい-。そんな思いがボランティアガイドや村民劇団の活動を支えている。水田が広がるだけの農村に、ひさしを連ねる宮殿や、道路を行き交う人々が見えてくる。その活動は、地中の世界を映す映写機の役割を果たしてきた。


劇団「時空」
県立万葉文化館の野外ステージで蘇我入鹿暗殺の様子を演じる
劇団「時空」(平成14年4月、明日香村飛鳥 )


【訪問者も村民】

 飛鳥京観光協会がボランティアガイドの育成に乗り出したのは平成9年。当時村の職員だった蘇我原敬浄さん=豊浦=は、迷うことなく名乗りを上げた。「仕事を通じて村の歴史を勉強させてもらった。その知識が少しでも役に立てば」。同じ気持ちは以前から持ち続けていたという。

 昭和45年に設置された史跡観光課では、村のPRに走り回った。高松塚古墳の調査は2年後。壁画が見つかった後、墳丘近くで寝ずの番についたことを覚えている。平成11年、村中央公民館長を最後に退職した。

 ガイドを受ける訪問者には「お帰り」とあいさつすることにしている。「明日香は国民全体のふるさと。そういう意味では訪問者も村民の1人といえる。再び帰って来てもらうためにも明日香を好きになってほしい」

 住職を務める同村豊浦の向原寺は、推古天皇が即位した豊浦宮の推定地にある。奈良文化財研究所の調査で宮跡とみられる石敷きや建物跡が見つかったのは昭和60年。境内に建てた覆い屋の中で、遺構の公開を続けてきた。「飛鳥時代の政治や生活はわずか1メートル下に眠っている。ガイドは足元のささやきを代弁するだけ」と話す。奈文研に公開を頼み込んだのも、古代を身近に感じてほしかったからだ。

 現在、ボランティアガイドは約40人。同行案内のほか、高松塚壁画館と酒船石遺跡には定点ガイドも張り付けている。平成10年に延べ2600人だった利用者は、平成13年に約8600人。年間260回の依頼を受けたことになる。

 新人ガイドは村教委の調査技師から寺や宮跡、古墳など、テーマ別に講義を受け、現地研修を経てデビューする。蘇我原氏は「『住んでよかった』という住民の思いと訪問者が感じる『来てよかった』は同じ気持ち。両者の共通認識を育て、村民の心を理解してもらうこともガイドの役目」という。ボランティアガイドの半数以上は村外の住民だが、明日香を愛する気持ちは人1倍だ。

 昨年研修を終えた橿原市豊田町の土山弘文さんは「明日香には壮大な歴史が秘められている。日本の原点がこの地にあったことを知ってほしい。資料を準備して視覚的に伝えられるようにしたい」と意気込んでいる。


【村民劇団の誕生】

 平成11年9月、石舞台古墳の近くに設けた特設舞台で、村民劇団「時空」の旗揚げ公演が行われた。演目は「タイムトラベル645~時空を超えた入鹿の旅」。蘇我本宗家を滅亡させた「大化改新」にスポットを当て、よみがえった入鹿が観客を飛鳥時代に案内した。

 劇団の結成は前年の10月。村の広報誌などで団員を募集し、約60人が集まった。脚本と演出を担当する写真家の上山好庸さん=平田=は「古代の飛鳥はイメージの世界。時代のひとコマを再現することで想像の手助けができれば」と話す。飛鳥京観光協会の役員会で立ち上げを提案した生みの親だ。

 平成13年に「炎の女帝・斉明」を発表。昨年9月には「厩戸皇子」の公演を成功させた。団員たちの堂々とした演技は観客をあきさせず、昨年7月には県外の中学校から宿泊先での公演を依頼された。衣装や大道具はすべて手作り。旗揚げ公演で使った実物大の亀石も、団員が協力して作り上げた。

 明日香村では、劇団が結成された平成10年から全国をにぎわす発掘成果が相次いだ。キトラ古墳の四神壁画、飛鳥京跡苑池、亀形石造物。関義清村長が唱える「まるごと博物館構想」とも連動し、村内の遺跡は公開の方向性が強まっている。そこに斉明天皇や中大兄皇子が登場すれば…。

 団員たちは最近、週末を利用して村内の遺跡に出向き、観光客のイメージづくりに一役買っている。上山さんは「難しいことはしなくていい。衣装をつけて歩くだけでも古代の飛鳥を感じてもらえる」と話す。記念撮影に応じたり、史実をテーマに寸劇を演じることもある。

 練習は日曜日の夜。家庭を持ちながら顔をそろえるのは決してたやすいことではない。「時空」の活動を支えているのは「明日香を身近に感じてほしい」という団員たちの熱い思いだ。同じ思いはボランティアガイドにも流れている。

 蘇我原氏は「明日香は歴史に接して心もいやせる安らぎの場所。これからも訪れる人は絶えないだろう」と話した。


 向原寺(こうげんじ)

 豊浦宮で即位した推古天皇は、10年ほどして小墾田(おわりだ)宮に移り、跡地には国内最古の尼寺、豊浦寺が建てられた。向原寺本堂の東隣りでは、豊浦寺の講堂とみられる基壇建物が出土。その後の調査で、飛鳥寺と同じ一塔三金堂の伽藍(がらん)配置だったことが分かった。日本書紀によると、欽明天皇から仏像を祭ることを許された蘇我稲目は「向原(むくはら)の家を清めて寺にした」という。豊浦寺の創建は半世紀後の推古朝だが、豊浦の地が稲目の本拠地だったとみられ、何らかのつながりがあると考えられている。


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