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第三部 飛鳥を伝える

模写で伝える飛鳥美人 高松塚壁画館

 保存施設でのデータ管理は「はてしなき終わりに向かって続く」といわれる。高松塚壁画(国宝)が永遠ではなく、いつかは消え去ってしまうことを指した言葉だ。墳丘の奥で眠り続ける壁画は、その最後の瞬間まで、一般に公開されることはないだろう。昭和52年に開館した高松塚壁画館(明日香村平田)は、その空間を疑似体験できる施設として、多くの観光客を迎えてきた。


【展示室を彩る模写】

 壁画館は延べ床面積353平方メートル。高松塚古墳の西隣にあり、年間約18万人が訪れる。松下幸之助氏を理事長として発足した飛鳥保存財団が、高松塚記念切手の寄付金などで建設した。

 精巧に作られた石槨(せっかく)の原寸模型もさることながら、展示室の側面に飾られた壁画の原寸模写がひときわ目を引く。奥に向かって右が現状模写、左は一部復元模写で、約20人の日本画家によって描かれた。

 一部復元模写を担当したのは、前田青邨氏直系のベテラン画家たち。飛鳥保存財団が神奈川県藤沢市に家を借り、そこがアトリエとなった。県立橿原考古学研究所の末永雅雄所長はしっくいの落ちた部分も復元するよう希望したが、話し合いの結果、赤外線で図柄の判明した部分だけと決まった。

 北壁の玄武を模写した入江正巳氏は「想像で描いて後に違うとなれば、国宝級の壁画模写としてあまりに無責任。そのため、分からない部分は描かないことになった。ただ、汚れはないものとし、美しく見せるように努めた」と振り返る。石槨内での色合わせも行った。

 各図柄に1人ずつ、計10人が一部復元模写に携わったが、完成までに2年半の歳月が流れた。現状模写は東京芸術大学の若手OBが担当し、1年で完成。部分的とはいえ、図柄や色彩の復元がいかに大変だったかが分かる。

 終了後、各壁面の"完全復元図"も線がきで作製された。玄武は最も重要な顔の部分が削り取られ、青竜や白虎の表情を参考にしたという。昭和58年に確認されたキトラ古墳の玄武を復元したのも入江氏だった。ファイバースコープのぼんやりした映像だったが、高松塚古墳の経験が役立った。

 その後、デジタルカメラを使った内視調査で細部が判明。入江氏は「両古墳の玄武は大きさが違うだけでほぼ同じ図柄。朱雀もそうだったに違いない」と話す。

 樹脂製の石槨模型は展示室の奥にあり、盗掘坑から中をのぞく仕組み。当初は完成した現状模写を張り付ける予定だったが、「もったいない」との声が出て写真に変更された。平成9年にリニューアルされ、実物に近い質感が高まった。


【増え続けた入館者】

 壁画館の学芸員、篁園勝男さんは、開館以来、25年にわたって来館者と接してきた。「遠方からの日帰り観光客もここだけは立ち寄る。リピーターが多く、色あせない関心の高さを感じる」という。

 篁園さんの言葉は、入館者数に裏付けされている。明日香村の年間観光客数は昭和50年代の160~180万人をピークに大きく減少。平成11年には68万4000人まで落ち込んだ。

 一方、壁画館の入館者数は開館年の14万人から尻上がりに増え続け、平成12年は19万人に達した。観光客の明日香離れとは無縁の施設。模写に悪影響を与えないため、空気の乾燥する2月は閉館を続けてきたが、「遠くから来てもらって閉館では申し訳ない」と平成13年から通年開館に踏み切った。年末年始以外は毎日でも飛鳥美人に会うことができる。昭和54年12月には昭和天皇も来館された。

 夏休みに同館をにぎわすのは、宿題を抱えた小・中学生たち。そんな子供たちに壁画の見方や時代背景を教えるのも篁園さんの仕事だ。資料もちゃんと用意してある。「解説をただ書き写すだけではだめ。なぜ壁画が描かれたのか、その意味をしっかり理解してほしい」と話す。

 キトラ古墳の調査以降、高松塚壁画に対する理解は報道機関などを通じて急速に深まったという。石舞台古墳から歩いて訪れる人も多いが、そんな時に篁園さんは「半世紀を歩いたことになりますよ」と説明する。石舞台古墳が蘇我馬子の墓とすれば、築造は7世紀前半。高松塚古墳の築造時期とされる7世紀末~8世紀初めまで半世紀の開きがある。古代史の舞台、明日香村ならでは魅力だろう。

 明日香村真弓の出身で、高松塚古墳の発掘以前から、地元の友人たちと遺跡や景観の保存運動に取り組んできた。今の夢は「世界の壁画館」。高松塚壁画の源流は朝鮮半島の古墳にあるといわれ、キトラ古墳の獣頭人身像はシルクロードを通じて伝わった可能性もある。これらの流れが追える展示はできないか-。高松塚30周年を迎え、そんな夢を膨らませている。


高松塚記念切手

 青竜、男子群像、女子群像の3種類で、計7500万枚発行された。いずれも5円か10円の寄付金付き。約4億円の寄付金は、飛鳥保存財団に交付された。壁画館のほか、周辺の公園整備もこの寄付金で進められた。発行の原動力は自民党の切手愛好議員らで、「飛鳥地方における歴史的風土及び文化財の保存等に必要な資金に充てるための寄付金つき郵便葉書等の発行の特例に関する法律」も制定された。発売は壁画発見から1年後の昭和48年3月26日。村史によると、発売日の明日香郵便局印を求める切手マニアが全国から押し寄せ、村内の民宿は前日か超満員だったという。


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