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第三部 飛鳥を伝える

続く「被葬者の謎解き」 壁画の修復と保存

 推古天皇が豊浦宮で即位したのは592年。藤原京遷都の7世紀末まで、飛鳥は国の中心だった。そこでは律令国家の基礎が形作られ、初めて法灯がともされた。今も「日本人の心のふるさと」と言われるゆえんだろう。しかし、高松塚古墳の発掘をピークとする飛鳥ブームはすでに遠い昔。壁画は色あせることなく眠り続けるが、歴史的な景観を維持するのは決して簡単なことではない。21世紀を迎えた今、飛鳥はどこへ向かおうとしているのだろう。


しっくいにアクリル系樹脂を注入する修復担当者
しっくいにアクリル系樹脂を注入する修復担当者
(昭和55年11月15日)


【無二の壁画を修復へ】

 高松塚古墳の極彩色壁画は、石材に塗った厚さ2~7ミリのしっくいの上に描かれていた。このしっくいがはがれ落ちると、壁画は跡形もなく消え去ってしまう。東京文化財研究所の技官として壁画の修復を担当した増田勝彦・昭和女子大学教授は「表面は滑らかなのに中はすかすか。骨粗鬆(そしょう)症のような状態だった」と振り返る。

 昭和47年春に発掘と写真撮影が終わると、石槨(せっかく)の盗掘坑は直ちに封鎖された。外気に触れた壁画を一刻も早く元の環境に戻すための処置だった。発掘の総責任者だった末永雅雄氏は、「一人占め」との批判を承知でその指示を出したという。

 その後の対応は県立橿原考古学研究所から文化庁に引き継がれ、調査終了の翌日には「高松塚古墳応急保存対策調査会」(関野克座長)が発足した。考古学や保存科学の専門家13人で構成する総合プロジェクトチーム。壁画の傷み具合や内部環境の調査が早急に行われた。

 同年11月に発行された報告書には、「石室環境の安定化」として以下のような対策が示されている。
(1)石室内温度を14度プラスマイナス3度に保つ
(2)95%以上の高湿を維持してしかも結露を防止
(3)炭酸ガス量を最低に
(4)天井石の亀裂を接着し、切り石のすき間を埋める-。

 さらに、修復作業中の振動が壁画をはく落させる可能性を指摘、早急に技術者を養成する必要があるとした。この答申を受け、イタリアの国立中央修復研究所に派遣されたのが増田教授たちだった。


【有毒ガスとの闘い】

 墳丘で保存施設の建設が始まったのは昭和49年8月。同51年3月には空調を調整できる最新式の施設が完成し、増田教授ら技術陣の帰国を待って8月末に修復作業が始まった。

 築造から約1300年。大規模な盗掘も受けており、壁面の傷みは著しかった。石槨に入った増田教授が目にしたのは、床に散らばった米粒ほどのしっくい。発掘による環境の変化が劣化を加速したことは間違いなかった。自然落下はそれからも続いた。

 修復チームの仕事は浮き上がったしっくいを壁面に接着すること。パラロイドB72と呼ばれるアクリル系樹脂を有機溶剤のトリクロルエチレンに溶かし、注射器でしっくいの割れ目に注入した。

 調査会の委員からは「日本画なので光沢が出るような修復は避けるように」との厳しい注文がついていた。そのため、見た目には注入個所が分からない。「壁面の写真をコピーし、浸透の終わった部分を色鉛筆で塗っていった」。膨らんだ部分は和紙で補強、へらで少しずつ押さえて接着した。

 修復スタッフを何よりも悩ませたのは、トリクロルエチレンの有毒性だった。当時は機械の洗浄などにも利用されていたが、発がん性があるため最近はほとんど使われていない。狭い石槨内で長時間使用すると、体への影響は必至。このため、検知の担当者を必ず置き、空気中の濃度が100ppmを超えると作業を中断した。当時、米国の環境基準は80ppmだったという。

 「万一中で倒れると運び出すのが大変。壁画を傷める恐れもあった。途中から活性炭の入った吸着マスクをつけるようになったが、どんなに調子がよくても必ず1時間で休憩をとるようにしていた」と増田教授は話す。

 石材のすき間からはムカデが入り込み、修復にあたる技術陣の上に落ちてきた。天井石にはひび割れがあり、「地震がきたら終わりだね」と冗談を言いながらの作業だった。

 カビなどの雑菌が石槨に入ることにも注意を払った。消毒用アルコールで手や靴を消毒してから中に入り、1日の作業が終わるとホルマリン蒸気で内部を滅菌。それでも「人間が入る以上は菌の侵入を覚悟しなければならない。ラスコーの洞窟もそうだったが、人さえ入らなければ環境は落ち着く」という。

 修復作業は昭和56年まで集中的に続けられ、危険個所はおおむね安定した。その後も文化庁による定期点検が毎年あり、平成9年には壁画の様子が報道陣に公開された。約20年ぶりの公開だったが、はく落やカビの繁殖はなく、保存施設の有効性は明らかだった。

 増田教授は来年にも発掘が始まるキトラ古墳の調査研究委員会のメンバー。文化庁は高松塚古墳と同じようにしっくいを安定させる考えで、修復作業が今後何年も続くことになる。

 石槨内の様子はデジタルカメラで撮影されており、いきなり壁画が現れた高松塚古墳とは状況が異なる。増田教授は「修復には高松塚の経験を生かせる。ただ、それがあるから早くできると思うのは間違い。壁画の細部まで分かっているからこそ、慎重さが求められる。ちょっとしたミスも許されない。修復が始まるまでには何倍もの時間がかかるだろう」とみている。


高松塚古墳の保存施設

 高松塚古墳が盗掘されたのは鎌倉時代と考えられ、以後、密閉された状態が続いてきた。保存施設はその時と同じ環境を維持するもの。1階が機械室、2階は3つの部屋に分かれており、盗掘坑に通じる最も奥の部屋を石槨内と同じ環境にすることができる。この施設のおかげで壁画を外気に触れさせることなく中に入ることが可能となった。石槨内の温度は11~17度、湿度は95%以上と安定している。


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