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第二部 被葬者の迷宮


新世紀にそろった四神 渡米人への視線〔1〕

 高松塚古墳に描かれた壁画のルーツは、中国や朝鮮半島に見いだすことができる。渡来した画師やその子孫が、色彩豊かな人物像を描いたとする見方が有力だ。日本の古墳になかった世界を創出したのは、被葬者が渡来系の人物だったからかもしれない-。壁画の有無を国内支配層と渡来人の違いと考える研究者もおり、被葬者論を一層複雑にしている。華麗な壁画は、遠く日本で死んだ人物に手向けた故国の世界なのだろうか。


キトラ古墳の朱雀
今にも羽ばたこうとする躍動的な姿で描かれたキトラ古墳の朱雀。
盗掘による損傷を免れ、1300年後の現代によみがえった
(明日香村提供)


【玄武との再会】

 平成10年、邪馬台国論争に終止符を打ちかねない考古学ニュースが、年明けから全国を駆け抜けた。天理市の黒塚古墳で33枚の三角縁神獣鏡が出土-。竪穴式石室の底で鈍い光を放つ"卑弥呼の鏡,,は、2日間で2万3000人の考古学ファンを現地説明会に呼び寄せた。

 明日香村のキトラ古墳に超小型カメラが入ったのは、それからわずか2カ月後のことだった。昭和58年に飛鳥古京顕彰会とNHKがファイバースコープで玄武を確認してから15年。猪熊兼勝・奈良国立文化財研究所飛鳥藤原宮跡発掘調査部長(当時)と村長を団長とする学術調査団が編成された。

 昭和58年当時、近鉄飛鳥駅からキトラ古墳へは車1台がやっとの道しかなく、地元では「高松塚のような騒ぎになっては困る」との声も強かった。周辺道路の整備が終わるまでに15年の歳月が流れた。平成7年には阪神大震災が神戸の街を壊滅させ、県内でも被害が出た。「壁画がはく落しているかもしれない」との危機感は、調査団の誰もが抱いていた。

 15年ぶりの調査が始まったのは3月5日の午前7時。墳丘のボーリング作業は難航を極めた。土は固くたたき締められ、石材の破片に当たっただけでもドリルは進まない。石槨と墳丘表面が直径約4センチの穴で結ばれたのは、作業開始から3時間が過ぎたころだった。

 午後になって挿入された超小型カメラは、北壁に玄武の壁画をとらえた。最悪の事態も覚悟していた調査団のメンバーは、握手を交わして喜び合ったという。ところが、それから十分もたたないうちにコントロールユニットのケーブルが断線、調査は中断を余儀なくされた。

 昭和58年の内視調査が玄武の確認だけで終わったのも、ファイバースコープの不調が原因。調査団にとっては悪夢の再来ともいえる事態だった。しかし、翌6日に再挿入された超小型カメラは予想を越える映像をモニター画面に映し出した。

 西壁に躍動する白虎、天井には星座をちりばめた天文図。それまでのあきらめムードは一気に消し飛び、調査団と報道陣のテントは興奮に包まれた。団長だった猪熊氏(現京都橘女子大学教授)は「玄武が無事で本当にうれしかった。墳丘の盛り土はかなり薄くなっており、それまでは大雨のたびに様子を見に行っていた。台風がくれば木の根といっしょに石槨が持ち上げられる可能性もあった」と振り返る。

 何よりも調査団を驚かせたのは、天井に描かれた天文図。高松塚古墳では、四方に七つずつの星座を配した28宿が表現されていた。キトラ古墳に描かれていたのは完全な天文図で、交差する2つの円が黄道と赤道だった。星は高松塚古墳と同じ金ぱくで表現。これまで約50個の星座が確認された。


【羽ばたく朱雀】

 そして昨年3月、デジタルカメラを使った撮影調査が行われ、大きく翼を広げた朱雀の壁画が見つかった。330万画素のデジタルカメラがとらえた映像は格段に鮮やか。調査に参加した百橋明穂・神戸大学教授(美術史)は「朱雀の特徴を十分把握しており、力強く躍動的な表現は目を見張るものがある。美術史にとっても大変な成果」と賛辞を惜しまなかった。キトラ古墳は四神がすべて確認できる国内唯一の古墳となった。

 高松塚古墳の調査を指揮した網干善教・関西大学名誉教授にとっては、別な感慨があった。同古墳は南壁の上部が盗掘で大きくえぐられ、朱雀は発見できなかった。網干氏は傷みによる消失と考えたが、最初から描かれなかったと主張する研究者も現れた。網干氏は「四神の意味を考えると朱雀だけ描かれないのはあまりに不自然。キトラの朱雀が見つかったことで30年ぶりに決着がついた。高松塚にも描かれていたことは間違いない」という。


【見えた12支】

 キトラ古墳の北壁に、玄武以外の「何か」が描かれていることは、昨年3月の撮影画像で明らかになっていた。それはわらび状の朱線で、猪熊氏は「弓を入れる袋ではないか。各壁面に3人ずつの従者が描かれている可能性がある」と指摘した。北壁の中央と東寄りに一つずつ、東西壁面の奥でも「謎の壁画」が確認された。

 昭和58年から数えて4回目のカメラ調査が行われたのはその年の12月。前回と同じガイドパイプから、アームに取り付けたデジタルカメラが石槨に入った。発掘に先立つ盗掘坑の位置確認が主な目的だったが、石槨内の画像を分析した結果、東壁の奥に見えていたのは獣頭人身の寅(とら)と分かった。

 斜め上からの撮影でゆがんでいたが、朱色の襟やスカートのような着物、腰に置いた手も見える。顔は尖った耳を持つ獣。猪熊氏が指摘したように各壁面の三カ所に描かれた可能性が強く、同古墳の保存・活用等に関する調査研究委員会(座長=藤本強・新潟大学教授)は「獣頭人身の12支像」との結論に達した。

 12支は時間をつかさどる神。朝鮮半島を統一した新羅の王墓には、石に刻んだ獣頭人身の12支像が立てられている。よろいを着けた武官も多いが、文化庁の林温・文化財調査官(仏教絵画)は「キトラ古墳の12支は官人風で、武将のような雰囲気は感じられない」と話した。

 キトラ古墳も高松塚古墳も、被葬者の眠る埋葬施設は異国の雰囲気に満ちている。


 二十八宿と四神

 古代中国の天文学では、天球を28等分し、象徴する星座を当てはめて「二十八宿」と呼んだ。月の周期27.3日対応しており、天の月は各宿をほぼ1日ごとに進む計算となる。観測を続けることで、農耕などに必要な季節の運行を知ることができた。四方に区分して「北方七宿」などと呼ばれ、玄武(北)、青竜(東)、朱雀(南)、白虎(西)の四神獣が象徴している。キトラ古墳の星座も、四神と対応するように配置されていた。


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