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第一部 それぞれの高松塚

ドラマ生まれた1ヵ月 番外編

 日本の考古学に転換の契機をもたらした高松塚古墳。第一部では、調査に携わった学生や、指導的な立場にあった網干善教、伊達宗泰両氏を通じて、関係者の心に残る高松塚を振り返ってきた。墳丘の本格的な発掘調査が行われたのは、昭和47年3月2日からわずか1カ月。今に語り継がれる数々のドラマは、この間に生まれた。

 関西大と龍谷大の学生たちは、岩のような墳丘に連日向かい、ついに壁画の眠る石槨(せっかく)に到達した。報道発表後、網干氏は記者や見学者への対応で体調を崩し、点滴を受けながら現場に出向いた。県立橿原考古学研究所の伊達氏は、毎日現場で学生たちを指揮した。4月に入ると墳丘に緊急の覆い屋が設けられ、万一の事態が起こらないよう、厳重な監視がされた。

 このような努力の末、高松塚古墳の調査と保存事業は文化庁に受け継がれた。そして、当時の技術を結集して壁画の保存処理が行われた。30年後の今もその鮮やかさは衰えず、国民的財産として維持されている。調査現場の風景を記録した花井節二さん(明日香村飛鳥)の写真と、奈良新聞社に残る資料をもとに、当時の様子をグラフで振り返ってみた。


■木の根
木の根

墳丘に生えた木の根を取り除く学生たち。盛り土は何層にもたたき締められ、くわの歯が曲がるほどだったという
(昭和47年3月)


■視 察
視 察

佐藤栄作前首相も視察に訪れた
(昭和48年10月13日)


■壁画調査
壁画調査

壁画発見の半年後、国の総合学術調査会の委員が石槨(せっかく)内に入り、壁画の保存状態を調べた。
心配されたはく落の進行もなく、関係者は胸をなで下ろした。
写真は蛍光灯で壁画を観察する江本義理・東京国立文化財研究所化学調査室長
(昭和47年9月30日)


■看 板
看 板

見学者の立ち入りを禁じる看板が立てられた高松塚古墳。
壁画発見後は関係者が不寝の番を続けた。
写真左は学生に話しかける網干善教氏
(昭和47年3月)


■フェンス
フェンス

有刺鉄線に加え、高さ2.3メートルのフェンスが巡らされた高松塚古墳。
奥に見えるのが仮設の覆い屋。
文化庁の委嘱で古墳を守ってきた村民も引退。
「なんともさびしい感じですよ」と大和タイムス(奈良新聞の前身)にコメントした
(昭和48年3月)


■中学生
中学生

総合学術調査会の現地調査を、有刺鉄線に取り付いて見学する中学生。
当時の新聞記事によると、御所市立葛上中学校の2年生で、創立記念日を利用して自転車で訪れた。 「内部は見えんでもええんや。この目で僕たちの祖先が眠るお墓の雰囲気を直接確かめたいんや」とコメント
(昭和47年9月30日)


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