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第一部 それぞれの高松塚

歴史目撃愛用のカメラ 村民の協力

 長い眠りから覚めた極彩色壁画は、調査を支えた村民の一人、花井節二さん=明日香村飛鳥=のカメラで4枚の写真に収められた。発見のその日、愛用のカメラにはちょうどカラーフィルムが入っていた。「シャッターを切ったのは網干先生。フラッシュの球が4個しかなく、それ以上は撮れなかった」と振り返る。北壁に玄武、左手前に男子群像。天井から木の根が垂れ下がる生々しい写真は、こうして撮影された。


文武天皇陵付近から
渡来人とつながりが深く、第三の高松塚古墳が
眠るかもしれない桧隈(ひのくま)の地。
文武天皇陵付近から


 村の青年団長だった花井氏は、遺跡の保存に力を入れることで、特色ある青年団をつくろうとしていた。網干善教氏は中学校時代の恩師。高松塚古墳の調査現場には、同じく教え子の上田俊和氏=同村桧前=と毎日のように通っていた。

 「午後から現場に行ったら『絵が描いてある』と大騒ぎになっていた。中をのぞいて分かったのは、青と黄色が見えるということだけ。玄武はクモの巣のように見えた」。壁画の発見は報道発表まで口外が禁じられ「しゃべりたくならないよう、関係者以外にはなるべく会わないようした」という。

 現場には必ずカメラを持ってきていたが、「今から思えばもっと写真を撮っておけばよかった。フィルムが高かったせいか、どうも加減して写していたような気がする」と笑う。愛車のトヨタ・マークⅡに網干氏を乗せ、橿原署や橿原記者クラブに運んだのも花井氏だ。当時、村内で靴下工場を経営していたが、調査に入れ込み過ぎて納品が滞ったこともあった。

 驚いたのは、取り上げたばかりの海獣葡萄鏡を網干氏に見せられた時。「酸化していないせいか、鈍い銀色に光っていた。本当にきれいだった」。

 高松塚古墳をはじめ、明日香村で行われた調査には、こうした村民たちの協力があった。そして、協力した村民たちも、調査を通じて遺跡への関心を深めていった。花井氏は「高松塚がなかったら、明日香の文化財にここまで関わっていなかった」と話す。調査から間もなく、花井氏ら"網干親衛隊"ともいえる村民たちによって「飛鳥古京顕彰会」が結成された。昭和58年に行われたキトラ古墳(7世紀末~8世紀初め)のファイバースコープ調査は、同会のメンバーが中心となって実現させた。

 崩れた斜面に露出した版築(はんちく=何層もの土を固く叩き締める工法)や尾根を削り出した地形から「古墳に間違いない」と判断したのは、高松塚古墳の知識があったからだ。相談をうけたNHKは、最新のファイバースコープを使った調査協力を約束した。調査の結果、玄武の壁画が確認された。

 近くに住む上田氏は『季刊明日香風』に寄せた談話の中で「高松塚はまぐれと陰口をたたかれ、マルコ山(古墳)のときは期待の壁画が空振り。死ぬまでにもう一度と思っていたら…。探査を終えて家に帰り、家族の顔を見たとたん、大粒の涙がポロポロと落ちてしまった」と当時の心境を語っている。高松塚古墳の調査がなければ、キトラ古墳の成果はなかった。

 現在、飛鳥古京顕彰会の会長を務める関武氏は、村議として高松塚古墳の調査に関わった。やはり網干氏の教え子の一人。県立畝傍高校に進んでからも網干氏のもとに通い、『日本書紀』を読み込んだという。「飛鳥は推古から文武まで100年の都。寺や宮殿ばかり調査されてきたが、もっと重要なものが出るという期待は常に持っていた」と明かす。

 高松塚古墳で凝灰岩の切り石が見つかったと聞き、調査費50万円の予算付けや国との折衝など、行政的なバックアップに奔走した。50万円の支出については他の村議も異論がなかったという。壁画発見の日は役場の村長室にいた。「網干先生が泥だらけで入ってきて『えらいものが出た』ということだった。すぐ現場に駆けつけた」と振り返る。

 多数のせん仏が出土した川原寺裏山遺跡の調査(昭和49年)も、関氏をはじめ顕彰会のメンバーがきっかけを作った。「穴に手を突っ込んだら吉祥天像が手のひらに乗った。帰って網干先生に見せると、『どこから拾ってきたんだ』ということになった」と話す。見つけた穴は、焼失した寺院の荘厳(そうごん)具が、大量に埋納された場所だった。「酒船石遺跡で亀形石造物が見つかった時も驚いたが、これからの明日香はもっと素晴らしいものが出てくる」と期待する。

 花井、上田、関の三氏が口をそろえるのは「高松塚やキトラのような古墳がもう2、3基はある」ということ。未知の飛鳥への期待は、21世紀を迎えた今も変わらない。


キトラ古墳

 明日香村阿部山にある直径13.8メートルの円墳。昭和58年に行われたファイバースコープ調査で石槨北壁の玄武が確認された。明日香村は平成10年3月、学術調査団を編成して再度石槨内を撮影。NHKが開発した超小型カメラは、玄武に加えて西壁の白虎をとらえ、東壁の青竜も確認した。最も注目を集めたのは天井の天文図で、数多くの星座と赤道、黄道が描かれていた。
 3度目の撮影はデジタルカメラを使って昨年4月に行われ、盗掘で期待薄だった南壁の朱雀が確認された。同年12月の4度目の撮影画像を分析した結果、十二支とみられる新たな壁画が見つかった。文化庁は14年度中に墳丘の覆い屋を建設、来年度から本格的な壁画の保存処理に着手する。


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