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第一部 それぞれの高松塚

発掘も一種の遺跡破壊 学生たち〔4〕

 「高松塚古墳の発掘に内心疑問を持っていた。破壊される心配がない古墳をなぜ掘るのかと思った」。今年2月に開かれた高松塚発掘同窓会。大阪府立山本高校に勤務する吉岡哲氏は、当時の思い出をそう切り出した。同府柏原市生まれ。開発に伴って姿を消す遺跡を学生時代から目の当たりにしていた。「ブルドーザーの前に座り込んだこともある。今となっては笑い話だが、当時は必死だった」と振り返る。

 吉岡氏の脳裏に今も焼き付いているのは、同じ柏原市にある平尾山古墳群(6世紀代)の光景だ。何の調査も行われないまま、100基以上の古墳が壊されたという。「つぶしてしまえば古墳はなくなる。それが当時の開発の常とう手段だった。市に発掘の専門職員は一人もおらず、行政も破壊を見過ごすしかなかった」

 当時、吉岡氏は関西大学の4年生。地元の有志と柏原古文化研究会を結成していた。平尾山古墳群が次々と破壊される様子に強い憤りを覚えた吉岡氏は、研究会のメンバーと協力して写真を撮り、文化庁や府教育委員会に保存の必要性を訴えた。

 同じく有志で調査した河内太平寺古墳群の報告書に次のような一文がある。「たくさんの遺跡が目前でブルドーザーやパワーシャベルの爪痕もむなしく破壊される現状を目の当たりにしたとき、全身が震え、血がすべて抜けてしまった状態になった。(中略)黙認ではなくて、公認の形で遺跡が破壊されていったことは、遺憾の極みであった」。この序文は「調査員一同」の名で吉岡氏が作成した。平尾山古墳群は有効な保存対策が講じられないまま、大半が姿を消した。

 高松塚古墳の発掘に疑問を抱いたのは、このような背景からだった。「内心、うらやましさもあったと思う。緊急発掘すらできずに破壊される古墳があるのにどうしてその心配がない古墳にお金をかけるのかと…。文化財保護に向けた行政の体制も保存運動の母体もない時代だった」。全国で遺跡調査が進むようになったのは、やはり高松塚古墳の調査が契機となった部分が大きい。

 学生、大学院を通じて発掘に明け暮れる毎日を過ごした。考古学研究室の一員として、和歌山県や岐阜県にも出向いた。「学園祭には一度も出たことがない。夏休みや冬休みも現場に出ていた」という。

 修士課程を終え、大阪府の八尾市立清友高校(現府立清友高校)に社会科教諭として着任した。その後の数年間、市内の発掘調査を任された。

 弥生時代の溝を掘った時、一枚の木の葉が見つかった。粘土状の土をはがすと、ほんの一瞬、葉が鮮やかな緑色に輝いた。それが褐色に変化するのに大して時間はかからなかった。粘土によって保存されていたみずみずしさが、空気に触れて消し飛んだ瞬間だった。

 この経験は、発掘調査と破壊を結び付ける出来事として、吉岡氏の記憶に刻まれている。「発掘も基本的には破壊につながる。だからこそ、その意義と厳しさを生徒たちに伝える必要がある」と話す。

 授業では、写真パネルや模型を使って生徒にイメージを作らせる。「難しいことはやさしく、やさしいことは深く、深いことはおもしろく」が信条。"飛鳥美人"の写真パネルはすっかり色あせてしまった。生徒たちには「先生が見た壁画は教科書のカラーグラビアと同じ色」と説明している。木の葉が変色した思い出も話す。「高松塚古墳も他の遺跡も、実物をこの目で見た。それが教育を続けるバックボーンになっている。だからこそ、今も新鮮な気持ちで授業ができる」という。

 同じような経験を生徒たちにさせてやりたいという思いも強い。授業に自らの体験を織り交ぜるのも、そのような願いからだ。昨年度の3年生は、8割にあたる約230人が日本史を選択した。

 「受験対策にはならないかもしれない。しかし、無駄と思える話が生涯こころに残ることがある。文化財を理解してくれる生徒が一人でも増えれば」。高松塚古墳の調査から30年。参加学生を通した追体験が、21世紀に生きる若者たちを育てている。


高松塚壁画館

 高松塚古墳の極彩色壁画は発見から2年後の昭和49年、国宝に指定された。墳丘は国の特別史跡。多数の遺跡が開発の波にさらされていた当時、発掘の成果によって早々と「永久保存」が決まった。壁画はコンピューター制御の保存設備で管理され、一般に公開されることはない。
 発掘に先立つ45年、「飛鳥地方における歴史的風土および文化財の保存等に関する方策」が閣議決定され、景観保存に向けた気運は高まっていた。翌46年には飛鳥保存財団がされ、松下幸之助氏が初代理事長に就任。52年3月、「高松塚壁画館」を墳丘の隣りにオープンさせた。石槨(せっかく)の原寸模型を展示しており、「戦後最大の発見」を追体験できる唯一の施設となっている。松下氏は壁画館の図録に「日本人の心のふるさと飛鳥の地に開花したすぐれた文化の一端を、心ゆくまで味わっていただきたい」と開館の意義を記している。
 原寸模型のほかにも壁画の現状模写と復元模写をそれぞれ展示。副葬品(海獣葡萄鏡、大刀飾金具など)のレプリカも見ることができる。開館以来、約435万人が入館。明日香を訪れる観光客が減少傾向を強める中、他の施設に左右されない人気を維持している。


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