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 第一部 それぞれの高松塚

貯蔵穴に切石を発見 網干善教氏〔1〕

 高取山から派生する細長い尾根の先端、その南斜面に高松塚古墳は位置している。削り出した斜面が背後に迫り、風水思想を反映したといわれる典型的な終末期古墳。今はもちろん、調査のメスが入った昭和47年当時もいちめんの竹やぶに覆われていた。調査に参加した学生の一人、森岡秀人氏は「竹ばかりで松がなく、なんとなく奇異な感じがした」と関西大学通信(昭和47年・29号)の談話会で語っている。


凝灰岩の切り石

芋の貯蔵穴に顔をのぞかせた凝灰岩の切り石(花井節二さん提供)


 壁画発見の10年ほど前、村民の一人が芋やショウガの貯蔵穴を墳丘南側に掘った。直径は60センチほど。穴の底で凝灰岩の四角い切り石が見つかった。

 凝灰岩は硬質の花こう岩に比べて加工しやすく、高松塚古墳のような横口式石槨(せっかく)や石棺、宮殿の石材として用いられた。飛鳥地域では、天武天皇の皇子、草壁皇子(662~689年)を葬ったとされる束明神古墳(高取町)やマルコ山古墳(明日香村)の石槨がそれにあたる。

 有力者の墓であることを示唆する高松塚古墳の切り石は、貯蔵穴から顔をのぞかせたまま、10年近くの時を過ごした。昭和45年になって高松塚古墳の近くに遊歩道を通す話が持ち上がり、説明会に出向いた村観光課の職員が、地元の住民から切り石の話を聞きつけた。

 当時、網干善教氏は末永雅雄氏(県立橿原考古学研究所初代所長)の後継者として、関西大の助教授に就任していた。明日香村出身で地元の中学校教諭や青年団長も務めた網干氏と住民の間には、今も強いつながりがある。

 村観光課の山本幸夫課長は、住民から聞いた話を網干氏や県立橿原考古学研究所(橿考研)の関係者に伝えた。貯蔵穴を掘ったら凝灰岩の切り石が見つかり、今もそのままになっている…。「これは大変なことかもしれない…」。網干氏は直感的にそう思った。山本課長に自転車を借り、その足で現地へ向かった。

 「竹やぶは手入れされておらず、小さな穴を探すのは大変だった。ようやく見つけた穴の中には確かに凝灰岩の切り石が顔をのぞかせていた」と振り返る。高松塚古墳は江戸時代の元禄期から明治時代まで、文武天皇陵に治定されていた。一帯は渡来人とつながりの深い桧隈(ひのくま)の地。「何とかしなければならない」という強い思いがわき起こった。

 報告を受けた末永氏は「君はどうするつもりか」とたずねた。「今は実測図もありません。まず図面をとることが必要だと思います」というのが網干氏の返答だった。末永氏もそれを認めた。

 こうして同年10月、関西大の学生数人を連れた網干氏の手によって高松塚古墳の実測調査が行われた。「いい古墳だよ。すぐに掘らないといけません」。書き上がった画面を見た末永氏は、網干氏にそう話したという。

 当時、村では村史の編集が進められており、掲載する遺跡の内容を把握する目的で、高松塚古墳の調査費50万円が計上されることが決まった。「何とかなる」程度の金額で、決して多いとはいえなかった。

 末永氏は橿考研が調査主体となることを決断。関西大考古学研究室の学生を中心に調査隊を編成することになった。しかし、大学は春休みの直前。アルバイトや帰省を予定している学生も多かった。「学生の氏名と日程を一覧表にして回したが、返ってきた表には丸があまり打たれていなかった。これでは掘れないと思った」

 網干氏は「せっかくの機会なのにどうして参加しないのか」と学生たちを説き伏せ、「必要なら私が実家に電話して事情を説明してやる」とまで約束した。こうして一日あたり15人ほどの学生が参加することになった。あくまでも研究の一環で金銭的な報酬は一切なし。調査期間中の宿舎には、同村野口の民家を間借りすることが決まった。

 最近の発掘調査であれば、教育委員会の技師が土木業者を指揮して現場を進める。高松塚古墳の発掘が始まったころ、県内の市町村に専門技師はいなかった。橿考研にもようやく常勤職員が置かれたばかり。限られた予算の中、学生たちの学問的な興味と情熱が壁画発見の原動力となったのである。


末永雅雄

 昭和2年、明日香村生まれ。龍谷大学講師などを経て昭和44年関西大学助教授に就任。同大学で教授、博物館長を務め、現在名誉教授。中学校時代から県立橿原考古学研究所に通い、所長の末永雅雄氏が講師を務めていた龍谷大で考古学を学んだ。龍谷大、関西大の教壇を末永氏から受け継ぎ、後進の育成に力を注いだ。末永氏との出会いは幼少のころに行われた石舞台古墳の調査で、父に連れられて毎日のように現場を見学していたという。高松塚古墳のほか飛鳥京跡や牽牛子塚古墳(明日香村)などの調査を担当。キトラ古墳の撮影調査にも参加した。県立橿原考古学研究所指導研究員。昭和58年からインド・祗園精舎遺跡の共同発掘調査を指揮している。


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