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もくじ
奈良のふるさとのはなし

三つの問題
鹿殺し裁判

のせがわのむかしばなし
蕎麦の軸の赤いわけ
天狗の扇
蟹の報恵
ふくろうの染物屋と烏
 (野迫川村要覧より)

悲運の皇子 自天皇
-その1-
-その2-
 (川上村「後南朝と川上村」より)

十津川妖怪譚
だる/ダル
天狗/テング
ごうら/ゴウラ
山女郎/ヤマジョウロ
山姥/ヤマンバ

一本だたら/イッポンダタラ
山小屋の怪異/ヤマゴヤノカイイ

「神饌」神々との宴
1.往 馬 大 社
2.門 僕 神 社
3.談 山 神 社
4.八 幡 神 社
5.倭 文 神 社
6.高 山 八 幡 宮

その他のおはなし
四社神社秋祭り
安堵町・なもで踊り

日本の造林王
土倉庄三郎

東吉野が育んだ秀句紀行
「原 石鼎」



奈良のおはなし
その他のおはなし
安堵町・なもで踊り


 中和地方のいくつかの神社に、きらびやかな衣装をつけ、鼓(つづみ)など手に踊る人々を描いた絵馬が残されている。
明治のころまで雨乞(ご)い成就を祝って踊られた「なもで踊り」。
かんがい設備の整った現代ではそのほとんどが姿を消し、最近になって王寺町や明日香村で復活、今年十一月には安堵町のなもで踊りが商工会を中心とするスフッタによって復活された。
 なもで踊りがいつから踊られるようになったのか、その期限は定かでない。
ただ、中世末に京都で流行した風流踊りと衣装などが似ていることから、北の方から大和の国に入り、大柳生の太鼓踊りなどを経て広まったとも言われる。
安堵町歴史民俗資料館によると、「奈良県は古くから水の確保に苦労した土地柄。
水争いも絶えず、それだけ水への祈りは切実だったろう」とのこと。
 なもで踊りは雨乞いの最終手段ともいえるものだった。
雨乞いの方法としては、近くの山に上り、降雨を祈願する「岳(だけ)のぼり」、「とんど」などが伝えられているが、どうしても雨が降らない時、なもで踊りに望みを託すことになる。
その前提として、まず氏神に降雨を立願をする。
 そもそも、なもで踊りには「中踊り」や「大踊り」など、格付けのあったことが古文書に伝えられている。
立願から雨が降るまでの日数、雨の降り方などを判断材料に、どの格で踊るかが決められた。つまり立願の段階で「雨が降ればなもで踊りを奉納します」と氏神に伝え、その成果のいかんにより、踊り手の人数が決められたようだ。
太鼓
 例えば安堵町の場合、「南無天躍之日記」によると、宝暦十二年(一七六二)は立願の翌日に雨が降り、「願満、中踊の格」。
また、慶応三年(一八六七)には立願の結果、三十七日ぶりの雨となり、「願満、大踊」と記されている。
あまり急に降りだしたため衣装が間に合わず、浴衣で踊ったこともあったようだ。
 安堵町のなもで踊りは同町東安堵の飽波(あくなみ)神社に伝わる宝暦六年(一七五六)銘の「なもで踊り図絵馬」にその姿を見ることができる。
同町歴史民俗資料館の橋本紀美さんによると、江戸時代には少なくとも十九回行われており、前記の事情などから浴衣踊り、願満踊りなどとも呼ばれた。
 同神社には衣装と鼓やうちわなど道具類のほか、歌詞本も伝えられてきた(いずれも県有形民俗文化財)。
同神社に現存する歌詞本は三冊あるが、明治三十三年の歌詞本以降は見つかっておらず、この時期を最後に途絶えたものらしい。
 同町のなもで踊りは三つのグループによって行われ、飽波神社の鎮座する東安堵村(現・大字東安堵)から二グループ、西安堵村(現・西安堵)からは一グループが出て別々に神社へと向かう。
 東安堵村の場合、二件ある庄屋宅に一グループずつ集合。
まず一回踊った後、神社に向け出発。途中、高札場前など二カ所で踊りながら神社に到着する。
 そこで今度は鳥居前で一回、境内で三回踊り、帰途につく。
途中で弁当を食べ、食べ終わるとまた一回踊る。
最後にそれぞれ相手の庄屋宅で一回、自らの庄屋宅に帰って一回踊り、解散となる。
西安堵村の場合は境内で二回踊った後、庄屋宅、村年寄宅で踊り、組頭宅などで夕方まで踊った。
 明治以降途絶えていたなもで踊りの復活は、安堵町商工会の福井保夫事務局長の提案によるもの。
「できれば小学校などでも踊ってもらい、町おこしにつなげたい」。
衣装は絵馬を基本に新しく発注、踊りの振り付けは記録として残されていないため、大阪市に住む舞踊家・藤浪ゆきさんに依頼して考えてもらった。
こうして九月から町老人クラブや東西安堵地区の氏子らによって練習が始まった。
 十二番まである歌詞は他地区のなもで踊りにも共通する「めでたさは 壱本えの木の」で始まり、五番で「ありがたや 安堵の明神 ありがたや 雨は降らしゃる」と雨が降る場面となる。
最後は「おもしろやの 米が五斗五升」と豊作を喜んで終わる。
 お披露目は同町産業フェスティバルの舞台となった。
太鼓が鳴り響き、踊り手が輪になって登場。続いて善鬼が現れて雨を降らせると、早馬(はやうま)と呼ばれる鼓を持った人たちが加わって喜び踊り、幕を閉じた。
 早馬役を務めた山本佳根子さん は「全員の呼吸を合わすのが大変。
今後いろんな角度から磨きがかかり、段々よくなっていくでしょう」とこれからの成果に期待する。
 百年近い年月を経て復活した安堵町のなもで踊り。
「肝心なのは続けていくこと」と藤浪さん。
平成のなもで踊りが再び途絶えることなく生き続けるよう祈りたい。
神社

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奈良新聞掲載「大和の神々」より




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