|
|
 |
|
その他のおはなし
四社神社秋祭り
|
|
霧のような雨が、時おり山里を濡らしていた。
空は灰色に覆われていたが、秋祭りの行われる神社の周囲に何十本も立てられた赤いのぼりをかえって際立たせてもいた。
御杖村菅野の四社神社(大森宗祐宮司)。
ここがまだ春日大明神と呼ばれていた中世から近世にかけて、周辺地域は伊勢まいりの宿場町として栄えた。
街道に面していた神社には、伊勢まいりをする人は必ず参拝した。
「大阪方面から伊勢まいりをする人は、行きにここで旅の安全を祈願し、無事にここまで帰ってこられると、お礼まいりをして手ぬぐいを奉納したそうです」。
大森宮司 は往時をそう語る。
そのころには、付近には街道をまたぐように百基もの赤い鳥居が並んでいたそうだ。巡礼者はその鳥居をくぐって伊勢への道を行き来した。
旧街道に立て掛けられた赤いのぼりは、その代わりのようにも見える。
五穀豊じょうや地域の平安、人々の幸せを祈る祭りは、七人の当屋が小さな社を神社に戻すことから始まる。
祭りの朝、御弊を先頭に胸の前に社を携えた人物を中心にした一団が、「オー」と何度もかけ声を発しながら、次々に神社へ参集する。
午前十時半、神事が始まる。拝殿では、新旧の当屋と氏子とが向き合う形で座る。そぼ降る雨の中に流れる雅曲。
神撰がうやうやしく参籠(ろう)所から運ばれる。
山里らしく野菜類を中心に供えられる自然の恵みも数多い。
祝詞(のりと)が終わると、新旧の当屋が拝殿中央で向き合う。
まずは現在の当屋が杯に注がれた神酒を「オー」と言いながら飲み、続いて同じ杯で新しい当屋が「オー」と神酒を飲み干す。
これが引き継ぎの作法。これからの一年間、新しい当屋はそれぞれの地域で社を祀(まつ)り、守る。
以前は、この後、これまでの当屋が社と御弊を新しい当屋に手渡し、新当屋が家路につくのを見送るだけだった。 けれども、
戦後の昭和二十五年ごろから、獅子舞の奉納が祭りに併せて行われるようになった。
現在奉納をするのは、およそ三十年前に結成された「菅野獅子舞保存会」。
会長の西村一彦さん は「昔はプロの演者が出し物をやってましたが、戦争中に途絶えてしまった。
しかし戦後、青年団らが中心となって獅子舞を復活させたんですよ」とこれまでのいきさつを語る。
それも当初は隣村の曽爾の継ぎ獅子をまねたものだった。
だが、「保存会ができてからは全国各地の獅子舞を研究し、そのいいところを採り入れて御杖独自の獅子舞に仕上げていった」らしい。
とはいうものの実のところ獅子舞は、もともとこの日に行われてはいなかった。
九月九日に「獅子祭り」と称する縁日が別にあった。
当日には神社の前を流れる菅野川に仮橋を架け、獅子がこの橋を神様の田へと渡る。
そのためこの橋は、神田橋とも呼ばれた。
神様の田では、獅子の上下の歯をがちがちと合わして鳴らし、占いをした。
鳴りが良ければ早稲(わせ)を、悪ければ晩稲(おくて)を植え、育てる。
占いが終わると、「長鼻(ながはな)」(天狗=てんぐ)と称せられる面を付けた人々が、悪魔払いの意味で神職とともに村内を巡った。
こうした行事のうち獅子舞だけが、近年、人々を楽しませる目的で秋祭りの日に行われるようになり、華やかなものに変化した。
ともあれ、人々に喜んでもらう点では獅子舞は十分に役目を果たしている。
獅子舞の行われる午後になると、地域の人々が集まり始め、拝殿前の土舞台には、二重、三重の人垣ができた。
現在、奉納獅子舞を演じるのは保存会の中で二十四〜四十八歳の二十人あまりで構成される奉舞会のメンバー。
これに十七年ほど前から地元菅野小学校の四〜六年生の約二十人が加わるようになった。
両者は約一カ月にわたって練習を重ねてきた。
言わばこの日が晴れ舞台でもある。
演目は「新姫」「荒神払い」「廻り返し剣」など全部で十三。
寒さがしんしんと体の中に入ってくるような天候だったが、観客は舞台の回りを離れようとはしなかった。
腹に響いてくるように激しく打ち鳴らされる太鼓、リズムにアクセントを付ける鐘。
うながされるように一匹、あるいは複数で、時に荒々しく、時に優雅に舞う獅子。
狂言回し役の天狗は観客の間を縦横に動き回り、手にしたバチで肩や腰などたたいて幸せをふりまく。
ベテランが演技中の新参者に、観衆の目もはばからずにアドバイスを送る姿もほほえましい。
クライマックスは、継ぎ獅子も登場する最後の演目「神楽道中お伊勢まいり」。
花柄の着物と紫ばかまの女獅子と、黒の羽織りに紫ばかまという男獅子にふんした子供が、それぞれ大人の肩の上に立つ。
肩の上の子供は、鈴、御弊、短剣と次々に持ち物を変え、最後に男獅子がうちわと傘、女獅子が手鏡を携え、仲睦(むつ)まじい道行きの情景を演じた。
この演技を盛り上げるように、当屋たちはおめでたいときに謡われる「お伊勢まいり音頭」を全員で口ずさむ。
すかさず観客からは紙吹雪のように小銭の入った おひねり が飛ぶ。
数え切れないほど投げられ、舞台にいっぱいに散らばった白いおひねりの紙は、これからこの地域を包むであろう雪にも見えた。
獅子舞の奉納が終わると、境内に漂っていた熱気もゆっくり、ゆっくりと冷めていった。
再び寒気が体を責めたが、帰り行く人々は皆笑顔だった。
それは、これからの厳しい冬の間も消えることのない暖かさを心の中に持っているかような笑顔だった。
|
|
.............................................................................................
奈良新聞掲載「大和の神々」より
|
|