義経と静御前が過ごした5日間 吉野山の吉水神社 - 奈良に息づく義経伝説【1】
特集「奈良の歴史再発掘」では、奈良県内に息づく歴史や伝承、祭りを改めて発掘していく。
第1回は、源平争乱期の悲劇のヒーロー、源義経(1159~1189年)。軍略の天才、兄との確執、弁慶ら家臣の忠義、愛する静御前との別れ、そしてはかない最期―。日本人が抱く義経への感情は、弱い者の肩を持つ「判官びいき」という言葉も生んだ。そんな義経にまつわる伝承は全国各地に存在しているが、奈良県内にもゆかりの伝説が数多く残る。全10回の連載で奈良で語り継がれる義経の伝説をたどった。
武士の棟梁だった源氏と平氏が争った源平合戦。「壇ノ浦の戦い」(1185年)で平氏を滅ぼした源義経は、最大の功労者となるはずだった。ところが兄・頼朝と不和になり、京都から追われる身に。大物浦(兵庫県尼崎市)から海に出て西国へ逃れようとするが、暴風雨で吹き戻される。天王寺(大阪市)を経由してたどり着いたのが吉野山(奈良県吉野町)だった。
吉野山にある吉水神社では義経一行を5日間かくまったと伝わる。もとの呼び名は吉水院。金峯山寺の中でも格式ある僧坊で、のちに後醍醐天皇(1288~1339年)が南朝の皇居を構え、豊臣秀吉(1537~98年)が1594年に吉野で花見をした際に本陣とした場所でも知られる。
義経や静御前ら一行を5日間かくまったと伝わる吉水神社