奈良のふるさとのはなし
鹿殺し裁判
むかし、ある日のこと、1頭の鹿が奈良の町中へきました。豆腐屋の軒先で、鹿は豆腐を食べました。店の主人は驚いて手にしていた包丁を投げつけました。急所にあたったとみえ、鹿はその場にたおれました。心ならずも鹿殺しの罪を犯してしまいました。
春日大社の社人がきて告訴しました。神鹿を殺した者は死刑になると言われていました。重大事件なので京都奉行所へ訴えました。その頃、京都の所司代は奈良奉行所を管轄していました。所司代は板倉内膳正重矩(いたくらないぜんのしょうしげのり)で、原告と被告を呼び出して裁判をはじめました。
重矩は、つくづくと鹿の死体を見て「訴えの内容では神鹿殺しとあるが、これは犬ではないか」と申しました。
杜人は、いかりて「奉行様、犬に角や蹄(ひずめ)は御座いますか」と言いました。重矩は痘面瞎目して「たとい角や蹄があっても、自分の見るところでは犬に間違いない。この犬は春日明神様の御神徳によって角がはえ蹄ができたのであろう。
確かに、これが神鹿であるならば殺した重罪は神社側にあろう。なざならば春日大社は神領と神田がある筈、杜人が私腹を肥やしていて鹿に十分の餌をやらないから、神鹿が町中へ出て餌をあさるのだろう。そうでなければ神鹿は垣を飛び越えて出ないと思われる。この責任は神社側にあろう。それでも、なお強く神鹿であると申されるか」と、厳然として立板に水を流すが如く朗々と申し述べられました。
杜人は、それ以上に弁離することもなく、そのまま引き下がりました。豆腐屋の主人は「これからよく気をつけよ」といましめられたさけで、おとがめなしですんだといいます。
重矩は人と為り慈仁にして厳格な性質で、寛文8年(1668)から10年まで京都所司代のことを行っていました。同13年5月29日、57歳で没しました。今から300年前ほどの前のことです。
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