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やまと建築詩

柏田家住宅(五條市)

壁や床に刻まれた歴史

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▲縁側が取り囲む離れ座敷。外側には雨戸のレールも見える

 江戸時代の古い町並みが残る五條市の通称「新町通」。慶長13(1608)年に徳川家康から高市・宇智郡一万石を拝領した松倉豊後守重政(1574―1630)によって造られた二見城の城下町だ。今年は、松倉氏の入城400年にあたる。

 この町の庄屋を務めたのが「森脇屋」の屋号を持つ柏田家。元は葛城山ろく、現在の御所市の一言主神社や九品寺近くの出身といわれ、きれいな水を求めて新天地の五條にやってきた。新町では庄屋として両替商や菜種油、造り酒屋などを営んだ。


▲式台部分だけが残った主屋

▲主屋と離れ座敷の間にある中庭。解体した主屋にあった鬼瓦には寛保2(1742)年の文字も見られる


 棟札によると主屋は寛保2(1742)年に、土蔵は享保16(1731)年に建てられ、安永7(1778)年に修繕したことが分かる。その時の施主は森久兵衛政納、大工は堀乃内清兵衛貞房だった。文政13(1830)年に、この主屋を模して分家が建てられている。主屋に大小3棟の土蔵、離れ座敷、隠居所などをもつ広大な屋敷のうち、主屋の大半と土蔵1棟を老朽化のため昭和47年に解体している。

 解体された主屋は八間取りの豪壮な建物だったが、今は東側の式台と座敷が二間残るだけだ。前栽(中庭)を挟んで離れ座敷が廊下でつながる。五間取りで田の字型の四間に床のついた座敷が付く。その南側には縁側があり、ふちに沿って雨戸を閉めることができる。戸袋は2カ所だけで、特殊な方法で廊下のカーブを曲がって雨戸を閉める。


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▲離れ座敷の南端には庭が見渡せる座敷が


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▲離れ座敷には豪華な床が設けられているが、
壁面中央付近に伊勢湾台風で水に浸かった跡が残る

 新町通の南側、吉野川に面して建つため、離れ座敷の壁には、被害の大きかった伊勢湾台風のときの浸水の跡が今も残る。明治初期まで務めた庄屋の古文書が、このとき土蔵の2階にあったため流出を免れた。江戸から現代まで新町の歴史を伝える建物。さまざまな痕跡を刻みながら住宅の歴史は続いていく。



DATA

● 柏田家住宅 ●

五條市新町2丁目6の11

※住居として使用しているため非公開

情報が古くなっている場合がございますので、ご利用の際は必ず事前にお問い合わせください。

写真・文 本紙・藤井博信 (日本写真家協会会員)

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