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やまと建築詩

石田家住宅(安堵町)

復活を待つ多聞城の門

MainPhoto

▲茅ぶき屋根の石田家住宅表門は多聞城からの移築。
今は相当傷みがあり修復が望まれる

 戦国武将・松永久秀が造った多聞城の城門を移築している安堵町の石田家住宅は、重要文化財の中家住宅に隣接している。大きな環濠(かんごう)の中に2軒の住宅が並ぶ様子は豪壮で、往時の面影が浮かぶ。

 多聞城は今の奈良市法蓮町の若草中学の場所にあった。築城術にたけた久秀が、戦国時代の1560(永禄3)年に築城。信貴山城では天守閣を初めて造営した久秀は、ここでは「多聞櫓(たもんやぐら)」と呼ばれる城の石垣の上に築いた長屋形式の建物を考案。防壁と食料や兵器庫を兼ねる城郭の施設として使った。


▲土間に飾られた陣笠

▲城門から見た主屋。
玄関あたりは江戸時代のものと考えられ、
右側部分は近年に増築されたと思われる

▲ギャラリーを使って行われる着物の展示会。
今後は落語会や美術品の展示会が企画される予定


 1573(天正元)年に久秀は多聞城を織田信長に差し出し、信貴山城に退いたが、1578(天正5)年に織田、筒井順慶軍に攻められ自決した。豪華だったといわれる城は、織田信長の命を受けた筒井順慶によって壊された。石垣は順慶の城となる郡山城の石垣に利用。門は順慶の親族にあたる在地武士の石田氏に譲られ移築されたと伝えられる。

 住宅は1600年代に、中氏が石田氏を養子に迎えた際に建てられた。ここ数年は空き家となり荒れ果てていたが、大阪・船場で着物の卸・小売業を営む大成元さんが借りることになり、私費を投じて改修を行っている。

 現在は全体の約3割が仕上がっただけだが、主屋の座敷などは使える状態になり、着物などのギャラリーとして活用を始めた。

 大成さんの話によると、主屋建物中央部分の土間と田の字状に四間取りの和室が古く、江戸時代のもの。西奥の座敷二間と土間の東側は後から増築や改築されたようだという。和室は各部屋に床が設けられたり、丸窓があるなど茶室の雰囲気を持たせている。離れとして20年ほど前に茶室が建てられてた。裏庭には神社や霊安殿もあり、武家屋敷らしさも。

 主屋を中心に、各世代がそれぞれ趣向を凝らして改造を試みているようで建築年代は分かりにくい。だが城門は荒れてはいるものの、ちょうちんを掛けたと思われる金具や、外の様子をうかがうための窓などは昔のまま残されている。傷んだ茅(かや)ぶき屋根の修理などが早急に必要で、大成さん個人だけでなく、公的な支援が必要だろう。

▲座敷の各部屋には床が配され家全体が茶室のようになっている。
廊下の端にも茶室に用いられる丸窓が



DATA

● 豆福堂石田邸ギャラリー「多聞庵」 ●

安堵町窪田138

開館時間は午前10時から午後5時まで。月・火曜日は定休。祝日の場合は翌日が休みとなる。

建物の見学は同館へ電話で相談を。入館料などは未定。

電話は0743(56)5777

情報が古くなっている場合がございますので、ご利用の際は必ず事前にお問い合わせください。

写真・文 本紙・藤井博信 (日本写真家協会会員)

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