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万葉の景色

山辺の御井

廃寺の礎石と古井戸

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▲集落の中にある毛原廃寺跡、礎石が整然と残り
民家の庭先や畑に点在。その一角に「山辺の御井」
(写真右、覆い屋根の下にある古井戸)伝承地も
【山添村毛原】

 毛原の里(山添村毛原)は前回(6月5日付)掲載した旧都祁村友田(現・奈良市都祁友田)などとともに万葉に詠まれた「山辺の御井」伝承地として知られている。梅雨の中休み、真夏を思わせる暑い日、名阪国道を走り、室生村や三重県名張市に隣接する同地を訪れた。

 笠間川を眼下に見下ろす緑豊かな山あいの小さな集落が今回のお目当て。奈良時代、都の大寺院と肩を並べたであろう堂々とした七堂伽藍(がらん)が立ち並んでいたことを示す礎石群が当時のまま多数残り、毛原廃寺跡として国の史跡にも指定されている。

 金堂の規模は礎石の配置から唐招提寺のそれに比すべき大きさを誇っていた。間口約24m、奥行き約13m、30数個の礎石が確認され、今もその大半が民家の庭先や畑で見ることができる。南へ40mほど下った場所には中門跡と思われる礎石が10数個点在、さらに10m下がった地点にも礎石が…。南門跡という。

 しかし、寺に関する文献は皆無。ただ東大寺大仏殿建立のため施入された板蝿杣(いたばえのそま)=木を植え、育て東大寺用の木材を採る山=の中心に位置したことから杣方支配をつかどる施設などの説がある。地元の人々は史跡保彰会などを作り顕彰、時折、考古マニアらが訪れるという。

 『 山の辺の 御井を見がてり 神風の 伊勢少女ども 相見つるかも 』 長田王(巻1―81)

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▲毛原の里を流れる清涼感漂う笠間川


 金堂と中門のちょうど中間に直径約1.2m、深さ約7.5mの素掘りの古井戸がある。伝承地の証だが、うっかりすると見過ごす。というのも民家の軒先にあり、50年以上たつ柿の木の下にひっそりたたずむ。それでも案内板や「山辺の御井」と刻まれた立派な石碑が立ち、きれいに整備されている。寛政3(1791)年に発行された「大和名所図会」に「山辺ノ御井ハ気原(毛原)村ニ在リ」と記され、確かな裏づけも。

 畑仕事に精を出すお年寄りが手を休め、ほほえむ。生活の場の一部にもなっている廃寺跡。自然石に地蔵が六体並んで彫られた磨崖仏が村道の傍らに。集落を見守るように鎮座、室町時代後期のものとされ、寺が廃れた後もここが信仰の地として語り継がれたのだろうか。この時期、笠間川はホタルが舞う。


写真と文 牡丹 賢治


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