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やまと建築詩

綿弓広場【観光休息所】(葛城市)

芭蕉ゆかりの憩いの場

 『 綿弓や 琵琶に慰む 竹の奥 』 芭蕉

 俳人・松尾芭蕉が、門人の日損庵千里に誘われて何度も訪れたのが、日本最古の官道といわれる竹内街道沿いの旧竹内村(現在の葛城市竹内)。この綿弓の句を刻んだ句碑「綿弓塚」と千里の句碑が建つのが「芭蕉旧跡 綿弓塚」。現在はよく手入れされた庭園と休息所が愛好者の憩いの空間として整備されている。

▲改装前にカマドがあったあたりに設けられた大きないろり
建物東側の扉からやわらかな光が差し込む

 千里はこの旧竹内村の出身で今から360年前の正保2(1645)年に苗村家(通称・粕屋)の長男として生まれた。36歳ごろ学問のため江戸に出て浅草に住み、禅を修める傍ら芭蕉の門下で俳句を学んだという。貞享元(1684)年には、千里は芭蕉の三大旅行記のひとつ「野ざらし紀行」にまとめられたた旅の伴をし、竹内に数日程度滞在。このとき芭蕉は、この句を含めいくつかの句や文章を残している。

 近くに住む土橋敬二さん(89)の話によると、綿弓塚休息所は、もとは高松酒造という造り酒屋の建物。操業は江戸時代で芭蕉のころからあったといわれるが、100年以上前に廃業しそれ以降は民家として使われていた、という。

 芭蕉の「初春先づ酒に梅売るにほひかな」の句の舞台、ともいわれている。

 平成4年に当時の当麻町がこの住宅を買収、整備しオープンした。休息所裏の庭園には文化年間に建立された「綿弓」の句碑が移設され芭蕉ゆかりの植物バショウの並んでいる。

 竹内街道側から見ると建物にはほとんど手が加えられていないので古い民家に見える。だが、休息所の室内は柱や梁(はり)を残して撤去され一つの大きな部屋に。柱の構造を見ると室内はもとは四間取りとみられ、建物の西側二室は後に増築されたようだ。また、東側約3メートルほどは通路を設置するため取り壊され、一部には障子のような扉が設けられている。敷地南側の酒蔵も改装時に取り壊されている。

 現在は、当麻町と新庄町が合併した葛城市の所有で、地元住民らで作る「綿弓塚保存顕彰会」が管理を行っている。芭蕉の足跡を訪ねて全国から人が集まるという。

▲格子のある窓に沿って並ぶ展示物
床は板張りに替えられている

▲綿弓塚(中央の句碑)や松尾芭蕉ゆかりの
バショウが植えられている庭園

▲手を加えられているものの江戸時代の
高松酒造から続く庭園


DATA

● 綿弓広場(観光休息所) ●

葛城市竹内595

入館無料

開館時間や利用などの問い合わせは
葛城市観光協会、電話:0745(48)2811

情報が古くなっている場合がございますので、ご利用の際は必ず事前にお問い合わせください。


写真・文 本紙・藤井博信 (日本写真家協会会員)


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