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万葉の景色

磐余の池

夕暮れに思う幻の池

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▲夕暮れ時、水面がキラキラ光り幻想的な吉備池。
日が西に広がる山並みに沈む寸前、真っ赤な一筋の帯が輝いた
(桜井市吉備)

 悲劇のプリンスと形容される大津皇子が辞世の歌を詠んだ「磐余(いわれ)の池」は香久山の東、万葉の森に隣接する橿原市と桜井市の境界あたりにあったと思われるが、現在、池そのものはなく、池之内、池尻などという地名が残る。

 『 ももづたふ 磐余の池に 鳴く鴨を 今日のみ見てや 雲隠りなむ 』 (巻3~416)

 草壁皇子とともに天武天皇の皇子だが、草壁はのちの持統天皇が母。大津は持統の姉・大田皇女が母という間柄。持統は天武の跡を実の息子に、と決めていたに違いない。ここまでは親心と誰もが理解できるが、実現させるため大津皇子の抹殺を企てるなど手段を選ばなかった。

 チャンス到来。大津に謀反の気配あり、という密告がこともあろうに大津の親友、川島皇子から入る。大津皇子は即刻捕らえられ、処刑。享年24歳。「よくカモと遊んだものだが、今日でお別れ。私はもう死んでいく…」。ことの真意はさておき、朱鳥元(686)年10月2日、「皇子・大津、謀反けむとして発覚しぬ」と『書紀』も記している。

 平成の世はどうだろう。時代が移っても謀事を図る人の思惑に変わりはない。日々、新聞紙上をにぎわす輩(やから)が後を絶たない。大津皇子の末路をたどろうと伝承地を歩いた。香久山の裾野(すその)にある妙法寺参道脇に碑が立つ。多武峰の山々を借景に桜井市池之内の集落が目に入る。この間にぽっかりと広がる田が池だったという。しかし何の変哲もなく、春を待つどこにでもある荒涼とした風景にしか映らない。

 池之内に移動。集落の南端、小高い丘に建つ稚桜(わかざくら)神社へ。幻の池全体を見渡す絶好の場所だ。吉備(桜井市)の吉備池畔にも「ももづたふ…」と刻まれた歌碑がある。こちらは農業用の新しい池だが、満々と水をたたえ二上山や大和三山が見える絶好のロケーション。日が金剛・葛城から連なる山並みに暮れようとする瞬間、水面に一筋の光が輝いた。数分後、あたりは色を失い暮れた。

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桜井市池之内から見た磐余の池伝承地。
後方は橿原市東池尻町の妙法寺


写真と文 牡丹 賢治

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