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万葉の景色

高野原の上

鹿鳴く昔しのぶ静寂

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▲暮色。家路に急ぐ人々でにぎわう近鉄高の原駅前。
万葉の昔、このあたりから南、孝謙天皇陵のあった大和西大寺駅付近までの丘陵地を
「高野原の上」と呼ばれていたという(奈良市右京)

 『 秋さらば 今も見るごと 妻恋ひに 鹿鳴かむ山そ 高野原の上 』
 長皇子(巻一-八四)

 天武天皇と天智天皇の娘、大江皇女との間に生まれた長皇子は、皇位継承順では第4位にありながら政治の表舞台に立つことなく、もっぱら旅や狩りを楽しんだという。この歌も志貴皇子と催した宴から「秋になると、今見ているように妻を恋しいがり雄鹿の鳴く声が盛んに聞かれますよ」と自宅近く、高野原の上の自然を詠み、実は来年も宴を開きましょうと誘う。

 長皇子の佐紀宮は平城宮の北郊、御前池のほとりに佐紀神社が今もあり、その名をとどめるが宮の定かな場所は不明。さらに北西に位置する孝謙天皇陵(高野陵)から現在の近鉄高の原駅あたりまでの丘陵を「高野原の上」と呼んだようだ。当時、鹿がたくさん生息していたのだろう。高野陵は大和西大寺駅の東を流れる秋篠川沿いにあり、駅周辺は隣接の大型商業施設などを目指す買い物客らの車列で慢性的に混雑するも、陵を境に北側は万葉をしのばせる静けさが漂う。緑も多く宮があったあたりか…。

 平城ニュータウンの玄関口、高の原の駅改札を出たすぐ脇に碑がある。朝夕、大勢の通勤・通学客でにぎわうが、碑が目にふれることは皆無で、おしゃれな新興住宅地といった趣の場所には不似合いといった感じだ。それでも駅と住宅街を結ぶ「ふれあい橋」の欄干には歌姫西瓦窯で焼成された奈良時代前半の軒瓦のモニュメントが飾られている。ニュータウンの東側にあり、同じ製品は平城宮や法華寺のほか恭仁宮(京都府加茂町)からも出土しているという。開発が進み様相は変われども、歴史に育まれた街はぬくもりが伝わる。

 さて、宴を共にした志貴皇子は四季の移ろいに心寄せ、静かに世を送ったといわれている。長皇子とともに天皇の血を引きながら、冒頭にも触れたように2人は政治の世界とは無縁。言い換えれば、自己に忠実だったのかも。だからこそ、共鳴する点が多々あり気持ちが通じ合ったのだろう。長皇子が五首、志貴皇子は6首の歌を「万葉集」に残している。立冬が過ぎ、暦の上では冬到来。枯れ葉が舞う。


▲桜葉が赤く染まり、晩秋の訪れを告げる。
後方が孝謙天皇陵(奈良市山陵町)


写真と文 牡丹 賢治

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