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やまと建築詩

橿原神宮文華殿(橿原市)

柳本藩の「御殿」を復元

 天理市柳本町にあった旧柳本織田藩主の「表向御殿」を昭和42年に橿原神宮に移築し復元した。大書院と玄関の二棟からなり建築年代は文書によると江戸時代後期の天保15(1844)年といわれ、昭和42年6月15日に重文に指定。江戸時代の武将屋敷を今に残す貴重な建物だ。

▲新緑が美しい庭園「いわれ庭」と旧織田屋形

 柳本藩は元和元(1615)年に織田長益(有楽斎)が、徳川家から封じられた摂津と大和三万石のうち、柳本一万石を四男の大和守尚長に分封したのが始まり。以後、明治維新まで16代続き、歴代藩主は皇室崇敬の念が強く、12代藩主の信成公は荒れていた崇神天皇陵の修復を行っている。

 表向御殿は今から約380年前の寛永年間に尚長によって創建されたが、文政13(1830)年の火災で焼失。天保7(1836)年から9年がかりで再建された。屋形のうち大部分の80余りの部屋は明治維新で取り壊されたが、表向御殿だけが残り、地元天理市の柳本小学校の校舎として使われるなどしてきた。

 だが、外壁に羽目板が張られ、ガラス戸が入れられるなど荒廃した様子に地元住民が心配。昭和39年に橿原神宮の「神域でぜひ保存を」との申し出が縁となり3年の歳月と神社に寄せられた浄財約3000万円により移築復元が実現、130年前の姿を取り戻した。

 この御殿はもとは殿様が公的行事を行った公室。復元は大書院、玄関、使者の間など10部屋で広さは446平方メートル。20畳敷きの玄関に、当時は甲冑(かっちゅう)などを置いたとされる大きな床の間が特徴。大書院は殿様が家臣たちと対面したところで、下段の間、中段の間、上段の間と床が約15センチずつ高くなっている。また、それぞれの境には立派な彫刻欄間(らんま)があるなど、江戸時代の武家屋敷を現代に伝えている。

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▲大書院の下段の間から「いわれ庭」を見る

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▲使者の間から見る玄関。左側には大きな床の間が見える

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▲大書院の下段の間から見た中段の間と上段の間。
部屋にはそれぞれ約15センチの段差がある

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▲大書院の各段を仕切る彫刻欄間。
鮮やかに彩色された鳳凰(ほうおう)などが見られる


DATA

● 橿原神宮文華殿 ●

橿原市久米町934

建物は現在、主に結婚式の披露宴会場やお茶会に使用している。
建物の見学は可能(無料)。

橿原神宮庁社務所、電話:0744(22)3271へ事前に申し込む。

情報が古くなっている場合がございますので、ご利用の際は必ず事前にお問い合わせください。

写真・文 本紙・藤井博信 (日本写真家協会会員)

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