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万葉の景色

桜咲く竜田

心揺らす清楚な薄紅

▲目にもつややかな桜が咲き誇る竜田越えの道。
信貴山を経て大阪へ(三郷町信貴山東)

 日本人がこよなく愛する桜。開花のたよりを心待ちにし、咲けばこぞって花見に出掛ける。が、万葉の時代はどうだったのだろうか。前回取り上げた梅の119首に比べ、桜を題材にした歌は46首。圧倒的に少ないが、桜を「花」と表現した歌が50首ほどあり、合計すれば100近くになり決して引けを取らない。

 もちろん、数を比べるだけで万葉人も好んだとする確証はないが、花を愛(め)で春を感じ心癒やしたであろう。花見という言葉こそ出てこないが、桜を詠んだ歌には春日の野辺、三笠山、佐紀山、高円山、竜田山、香久山…といった地名が数多く見られる。桜の咲き出しに始まり、花の盛り、さらに散るさまなど場面もさまざまだ。

 ところで、万葉時代の桜は、その大半が古来自生するヤマザクラと言われている。今、各地でポピュラーなソメイヨシノは江戸時代にできた改良種であり、万葉で歌われたそれとは随分イメージが違う。ヤマザクラは白または薄紅色のやや小ぶりな一重の花で、開花とともに淡い赤っぽい若葉が萌(も)える。派手さはないが清楚(せいそ)だ。前置きが長くなったが、桜を求めて歩いた。

 どちらかと言えば紅葉を連想する竜田川周辺は隠れた桜の名所。昔の竜田川は現在の大和川のことだが、紅葉は平安朝以後とか。また万葉集には竜田の川は出番がない。

『 わが行は 7日は過ぎじ 竜田彦 ゆめこの花を 風にな散らし 』
 高橋虫麿歌集(巻9-1748)

 私の留守(旅)中はわずか7日。どうか、風の神・竜田彦よ、風を吹かせて花を散らさぬように、と哀願した。風神を祭る龍田大社はJR大和路線の三郷駅のそばにあり、朱塗りの大きな鳥居が目を引く。「竜田彦 ゆめこの花を…」と歌われた花はこの辺りの山ならどこでも咲いていたのだろう。大伴家持も次のように詠んでいる。

『 竜田山 見つつ越え来し 桜花 散りか過ぎなむ わが帰るとに 』
 (巻20-4395)

 平城の都から難波へ向かうには生駒越えと竜田越えが一般的なルート。生駒越えは険しく遠回りだが、竜田越えが多用されたようだ。しかし残念ながら竜田越えの道筋は定かではない。そればかりか竜田山も特定できず、大和川北岸辺りの山々の総称と考えられている。

 三郷町から信貴山経由、大阪府柏原市に至る道路沿いに立派な桜並木がある。もちろん、ソメイヨシノだが、ヤマザクラもちらほら。信貴山は今も桜の名所としてにぎわう。

龍田大社

▲桜と朱塗りの大鳥居とのコントラストが見事な龍田大社(三郷町立野南)


写真と文 牡丹 賢治

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