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万葉の景色

東大寺かいわい

本番へ春呼ぶ修二会

東大寺2月堂から

▲生駒の山並みが夕日に染まるたそがれ時、
大仏殿の大屋根がシルエットに浮かぶ。
あす3月1日から修二会は本行に入り、
勇壮なたいまつが古都の夜空を焦がす
(東大寺2月堂から)

 和銅3(710)年、元明天皇は大和三山に囲まれた藤原京から大和盆地の北、青垣の山々を仰ぐ今の奈良市に都を移し、平城京とした。唐の都・長安をモデルに、わが国初の本格的な国際都市であったことは、言うまでもないが、長岡京遷都までの約70年で忘れられないプロジェクトがある。聖武天皇と光明皇后を中心に進められた東大寺大仏造立がそれで、平安時代末と戦国時代に戦火に遭うも、そのつど修復され平成の世に息づく。

 大仏を安置する大仏殿を見下ろす二月堂は「お水取り」(修二会)で知られ、回廊からは奈良市内はもちろん、矢田丘陵や生駒山が望まれる。あす1日から練行衆と呼ばれる僧が参籠(さんろう)宿所にこもり2週間、天下泰平と五穀豊穣を祈り、深夜まで厳しい行を繰り広げる。それ故、「お水取り」が終われば関西に春が訪れるといわれる。

 さて、天平15(745)年、聖武天皇の大仏建立の詔(みことのり)により大事業がスタートした。大仏は今よりさらに1メートルほど大きく高さ約16メートル、全身に鍍金(ときん)が施されていたという。材料となる金の不足が心配され始めた天平感宝元(749)年、陸奥の国から黄金が出た。感激した大伴家持が詔書をことほぐ長歌(巻18-4094)と反歌3首を詠んだ。

『 天皇(すめらぎ)の 御代栄えむと 東なる 陸奥(みちのく)山に 黄金花咲く 』
(18-4097)

 家持は世紀の祝典「開眼法会」にも参列したであろう。だが、1首の歌にも詠んでいない。なぜだろう。万葉集の七不思議という。政治に対する確執…。現在、大仏殿の北西に万葉歌碑が1つある。光明皇后が聖武天皇に贈った歌で、こちらは夫を愛する優しい気持ちが伝わる。

『 わが背子と 二人見ませば 幾許か この降る雪の 嬉しからまし 』
(8-1658)

 きょう29日、11人の練行衆は戒壇院別火坊での前行(試別火、総別火)を終え、大仏殿の脇を通り参寵宿所に向かう。

▲修二会の本行中、二月堂須弥壇を彩る
ツバキの造花をつくる参籠中の練行衆。
ベニバナで赤く染めた和紙や白い和紙を花びらに見たて、
タラの木を芯(しん)におしべ、めしべを表すクチナシで色づけた
黄色い和紙とともに張り付ける。
その数約500個、一つ一つ丁寧に仕上げた
(23日、東大寺戒壇院別火坊)


写真と文 牡丹 賢治

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