このページでは、Javascriptを使用しています
奈良新聞WEB トップへ戻る
 
←次へ 前へ→
万葉の景色

住  坂

古代栄えた要衝の地

▲宇陀川沿いの小高い丘の中腹にたたずむ墨坂神社。
朱塗りの橋と鳥居が目を引く(榛原町萩乃里)

 榛原町の中心部、宇陀川沿いの小高い丘の中腹に朱塗りの社が整然と並ぶ。墨坂神社がそれで、かつては墨坂の天の森(今の近鉄大阪線榛原駅の北)、西峠付近にあった、という。墨坂の名は神武天皇の大和平定の伝説や「日本書紀」の男坂女坂にも登場。古代から開かれた所だったことがうかがえる。

 古代の墨坂と思われる場所に「墨坂伝承地」と刻まれた石標がぽつんと建っている。ブロック塀が間近に迫り、お世辞にもかつてにぎわった地域とは思えない。写真を撮ろうと辺りを見回すと伊勢街道と書かれた小さな標柱があり、何とか人々の往来があったことがしのばれる。

 万葉の住坂もこの地と言われている。近くにある小学校のグラウド脇に石碑がある。

『 君が家に わが住坂の 家道をも われは忘れじ 命死なずは 』
  柿本人麻呂の妻(巻4―504)

 「君が家にわ(我)が」までが「住む」という住坂を導く序詞。解釈をめぐっては諸説あるようだが、当時は男が女の家を訪ねる「通い夫」が一般的。ならば君(夫)の家に我(妻)が住むのは疑問だ。人麻呂が妻に贈った歌の書き誤りだとか、君と我の写し違いだなど…。何やらややこしい。旅立つ人麻呂に対し「私を忘れないでほしい」という願望を込めた妻の心を代弁した歌という説も。こちらに軍配を上げたい、そんな思いがした。

 取材当日は立春も過ぎ、春近しを思わす晴天。中世に伝承地から現在の場所に遷された墨坂神社からの眺めは素晴らしく、榛原の町が一望できた。また、宇陀川に架かる朱塗りの橋は日差しに浮かび、平成の世と古代を結ぶ掛け橋のように思えた。

▲通学路の脇に建つ「住坂―」の万葉歌碑


▲かつてにぎわった墨坂を今に伝える石碑


写真と文 牡丹 賢治

ページ上部へ移動

グラフ:目次ページに戻る

奈良新聞WEBトップに戻る


 

会社概要採用情報新聞購読出版情報個人情報保護特定商取引法に基づく表示サイトマップ