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万葉の景色

雪の吉野山

桜の名所も静寂の世界

▲吉野の山々に深々と雪が降り、水墨画の世界に足を踏み入れたよう
(中千本から如意輪寺を望む)

 いま吉野山(吉野町)へのルートは、マイカーなら橿原市内から国道169号で大淀町経由が一般的。電車も近鉄吉野線橿原神宮前(橿原市)からやや西に膨らみ吉野口(御所市)、福神、大阿太、下市口(いずれも大淀町)を経由し、吉野川沿いに進む。かつての万葉人はとなると、飛鳥(明日香村)からの芋峠越えがポピュラーだったようだ。もちろん幾筋かの道があり、多武峯(桜井市)近くの冬野から竜在峠、細峠を越える東寄りのコースや巨勢路(御所市)から今木峠を越えるルートなどもあった。

 前置きが長くなったが、西行のころから桜の名所として名高い吉野山も、万葉集の世界では無名。古代の吉野といえば、吉野離宮があった宮滝(吉野町)辺りを指していたようだ。さて、天智天皇10年、大海人皇子は天智天皇と決別し、近江を離れ吉野に隠せいする。世の人は「虎に翼をつけて放てり」と言ったとか。そののち、世にも有名ないわゆる「壬申の乱」で近江朝廷を破り、飛鳥浄御原宮で即位、天武天皇となったわけだが、悲痛な叫びとも思える歌を吉野で残している。

『 み吉野の 耳我の嶺に 時なくそ 雪は降りける 間な くそ 雨は降りける その雪の 時なきがごと その雨 の 間なきがごと 隈もおちず 思ひつつぞ来る その 山道を 』(巻1-25)

 耳我の嶺(みね)は竜在峠という説が有力で、その絶景に感動して詠んだ叙景歌だとする解釈もあるようだが、苦痛の歌とする説に共感を覚える。吉野に雪が降った。もちろん、場所も違うだろうし、状況も違う。天武天皇の心の内は計り知れないが、今の吉野を代表する吉野山は水墨画のような世界となり、心なしか寂しげ…。同じような雪道を歩いたのだろうか。平成の吉野は脚光を浴び、今年6月にも「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部とて世界遺産に登録される見通しだ。

 吉野山観光協会は節分に合わせたキャンペーン「鬼火の祭典」を実施。あす2日は、蔵王堂境内とその周辺に3000本のロウソクをともす「吉野桜燈火」や鬼が練り歩く「鬼歩き」などが実施される。3日は蔵王堂で金峯山寺節分会が営まれ、鬼踊りや大護摩供養、福豆まきなどが繰り広げられる。

吉野山一帯

▲上千本から見た吉野山一帯。
ひと目千本の桜も薄っすら雪化粧


写真と文 牡丹 賢治

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