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万葉の景色

春日の山から恭仁京

複雑な人間模様映す

飛火野

▲飛火野から紅葉や黄葉に染まる木々越しに春日の山々を望む。
日が沈むと瞬く間に色を失い静まり返る(奈良市春日野町)

 なぜだろう。センチメンタルな心揺れる秋。黄昏(たそがれ)の夕暮れ、真っ赤に染まる木々が一瞬、明るさを増したかと思う間もなく、色を失い春日の山並みは静まり返る。都が移れば、なおさらだろう。

 『 秋されば 春日の山の 黄葉見る 奈良の都の 荒るらく惜しも 』
大原真人今城(巻8-1604)

 春日の山が色づくと都全体が明るく見えるのに…。平城(なら)の都が恭仁(くに)京に移った後、天平15(743)年ごろに詠んだ歌というが、ただ単に荒れてゆく古都を哀れみ、つづったのだろうか。このころ聖武天皇は都を転々とし、落ち着かなかっただけに複雑な人間関係を垣間見る思いがする。平城宮跡からは今も春日の山々がよく見える。

 青垣の山々は心のよりどころ、癒やされる。さて、恭仁京は現・京都府加茂町。宮は木津川の右岸に造られた。今城とも親交のあった大伴家持が平城京に残した妻を思い詠んだ歌がある。

 『 一隔山 隔れるものを 月夜よみ 門に出で立ち 妹か待つらむ 』  (巻4-765)

 JR関西線加茂駅前を北へ、木津川に架かる恭仁大橋を渡り歩を進める。旧街道を少し歩くと木造校舎から子どもの声が漏れ、今が盛りと咲き誇るコスモスが風に揺れる。すぐ側に大きな礎石と「山城国分寺址」と刻まれた碑が広い空間の中、ポツンとある。廃都後、大極殿は国分寺に施入された、という記録があり、ここが恭仁京の中心地だったことがうかがえる。

 天平17年、都が平城京にもどり、大仏造営が始まった。翌年、家持が越中(今の富山県)に赴任する。

コスモスが咲き誇る恭仁京

▲コスモスが咲き誇る恭仁京。礎石だけが残る
山城国分寺跡に大極殿があったと思われる(京都府加茂町)


写真と文 牡丹 賢治

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