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万葉の景色

百済野

新緑に映える三重塔

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▲陽光をあび、シルエットで浮かびあがる百済寺三重塔
盛りのサクラがつややかだ(今年4月写す)

 卯名手(うなて=雲梯)の杜(4月6日付掲載)、河俣神社のすぐ脇を流れる曽我川に沿い4~5キロ。広陵町のシンボル、百済寺の三重塔が茂みの間から見え隠れする。町の中心からやや離れた百済の里は舒明天皇の宮があったと「書紀」が伝える。天皇は639年、聖徳太子創建の熊凝精舎(くまごりしょうじゃ)を太子の遺言でこの地に移し、百済大寺としたのが始まりという。

 地名からも想像できるが、その昔、大陸からの渡来人でにぎわっていたようだ。その後、幾多の時代を乗り越え、今ある三重塔は鎌倉時代、源頼朝が建立したとある。さて、万葉集には百済の名が二首。その1つは高市皇子が死去したとき、柿本人麻呂の詠んだ挽歌(ばんか)にあり、持統10(696)年、皇子の柩(ひつぎ)が、ここ百済野を通過している。人麻呂も葬儀の列に加わり歩いたのだろう。

 もう1つは「叙景歌」の先駆者といわる奈良時代の歌人、山部赤人が詠んだ。

 『 百済野の 萩の古枝に 春待つと 居りし鶯 鳴きにけむかも 』 (巻8~1431)

 萩(はぎ)の古枝に春を待ちながら止まっていたウグイスは、もう鳴き始めただろうか。この地の繁栄は長くは続かなかったようだ。奈良の都でふと、かつて訪れた百済野を思い出したのだろうか…。冬のウグイスは舌打ちをするような小声で鳴くといい、よほど耳を凝らさないと気が付かないとか。もちろん、今のような騒音もなく、のどかだっただろうが、赤人は吉野の象山や和歌浦(和歌山県)でも鳥の鳴き声を題材に歌を残し、感性歌かな人柄がうかがえる。

 今、百済寺は神社と同じ敷地内にあり、鳥居と塔が仲良く同居。辺りは田畑が比較的多く残るのどかな一角。サクラの咲く春に続き、田植えが始まる新緑の季節に再訪した。いずれも三層の優美な曲線と先端にすっくと立つ相輪が見事に調和し美しい。

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▲三層の優美な曲線と九輪が周囲の景色と調和した古塔は、
隣接した公園の遊具とも違和感がない(広陵町百済)


写真・文 本紙・藤井博信 (日本写真家協会会員)

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